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![]() | ComoHouse 【アーカイブス|ブログ 自然素材の家づくり 】 |
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![]() | ![]() | 2025.7.6 山間の陶工たち ホームページ | ![]() |
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九重連山が連なる九州の背骨。その奥深い山の中に日田があります。昔から林業の盛んなところで御料林の連なる日田杉の産地です。 かっては幕府の直轄地で、私が子供の頃、叔父がこの日田の営林署の所長をやっていたのはもう遠い昔の話。子供心に遠いところ、寒いところ、冬は雪が降り積もるところ、なんだか黄泉の国の岸辺のあたり(?)、想像を絶するところ。今では高速道路であっという間にたどり着くのですが当時はほんとうに山間の山奥。九大線が大分と熊本をつなぎ、日に何本の列車が走ったのか?たどり着くのも難儀なところだったのですが、そんな山間の奥地で育まれた日田杉に今ではお世話になっているのですから人生はわからない。 しかし、今日は、日田杉ではなく、その日田の山肌を縫うようにさらに山奥に進んでいくと「皿山」という地名があり、ここに十件の窯元が昔ながらの製法で窯の火を守っておられるのです。 小鹿田は「おんた」と読みます。子供の頃はまずこれが読めなかった。行きたい行きたいと思いながらも字が読めないとチャンスもなく、だから字が読めるようになるとチャンスは自分で作るものと思うのです。 日田杉と小鹿田焼と。こんな素晴らしい組み合わせがまたとあるものか。 焼き物も素晴らしいのですが、小鹿田の里が、里そのものが格段の風情があり、開窯いらい四百年間、十軒の窯元が集落を形成し、今も変わらず窯の火を守っている。そんな焼き物の里は小鹿田以外には無いのではないか? この集落の中を細い川が流れ、川の水を利用して臼をつくのはまるで水車の原理でここでは今でも機械は使わず、ろくろを回すのも、土を捏ねるのも、すべてが人間の手作業なのです。 to be continue (笑)続く 書き出すと様々なことがありすぎて纏まらない。 苦笑 | ![]() | |
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![]() | ![]() | 2025.6.21 もう一度、有機的建築 ホームページ | ![]() |
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有機的建築といえばフランク・ロイド・ライト。旧帝国ホテルの設計で言わずもがなですが、日本にはライトの設計した建物が本国アメリカに次いで多いのです。 さて、ライトを持ち出すとことがおおごとになりますが、ライトのある意味ゴージャスな建物は向こうに置いといて、わたしたちは極東のちいさな島に栖むちいさな家の住人。 わたしたちには貧しいそれしか選択肢のない有機的な建築。貧弱な世界を押し広げて行くとその先に広がる有機的な建築。それは時代がル・コルビジェに代表される無機質のコンクリート打ちっ放しの「住むための機械」が時代を席巻する中で、そうした無機質の建築に抗いながら控え目に持ち出してきたこれっきゃ無い世界。しかし、それをすら跳び越えて広がるこの国の木造のゆたかな世界。 そういう意味でも日本の木造住宅はまさにライトの理想であったかもしれませんが、しかし、その私たちの建物を仔細に見るとまことによく考えられている。土壁はそののまま優れた断熱壁で、フラット35Sを凌ぐ性能を有している、かもしれない?。屋根の藁葺きは断熱材としてこんな圧倒的なものは現代では皆無。梁、桁、柱、そのどれをとっても二百年住宅、三百年住宅に負けない、かもしれない?。 法隆寺を持ち出すのは禁じ手ですが、法隆寺は正確には百二十五棟の建物群からなる西院伽藍と東院伽藍からなる斑鳩の里。法隆寺という界隈。法隆寺という世界。法隆寺という結界。 ライトが目指した有機的建築の極北。しかしそれはライトの世界とはまったく異なる異次元の世界。 家造りには集成材よりも本物の持つ無垢の柱が望ましい。 家は美しくありたい。美しい家の定義はむずかしいけれど。 若い人が建て売りに走るのもムベなるかな。家造りは根気と努力、そして勉強。しかし、勉強するには奥が深すぎる。美しい家が欲しいという不断の欲求を保ち続けるには、街に美しい建物が溢れていることが望ましい。美しい建物がなんなのかを実地で勉強できる環境こそが望ましい。 斑鳩の里に建て売りはありえない。 2017年10月8日投稿のブログより | ![]() |
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![]() | ![]() | 2025.6.15 家は建たない ホームページ | ![]() |
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ええっ、そうか、パナソニックのシステムキッチンってこんな風に進化?(変化)してるんだ、と目から鱗。 天板が人造大理石でシンクまで一体になってシームレスに成形されおり、つまりはゴミ溜まりの目隠しがないのがウリなんですね。IHクッキングヒーターも凹凸がなくお掃除が楽。それがウリ。それらのウリの詰まるところは何なのか? 時代は変わりました。 「作業や動線を妨げない」 「必要不可欠なテクノロジー」 「美しい家具として一体化」 「人と空間に調和するデザイン」 これはいい!かしら?と、ここがコモハウスのむずかしいところ。^_^ 「住まいはもっと美しくなる」 わたしどものキャッチフレーズからは、必ずしもこうした最新設備が美しいとは感じられないのです。 「旧築提案の家」 これはもうひとつのわたしどものキャッチフレーズです。新しいことはいいことだ。(ホント?) 「大切なことはね、目に見えないんだよ」あるいは、 「美は乱調にあり」あるいは、わたしはセザンヌよりもゴッホをとりたい。 では何をもって住まいづくりの中心に置くのか?
#自然素材の家 #注文住宅 #横須賀市 #葉山町 #逗子市 #三浦市 #横浜市#有機的建築 #東濃桧 #漆喰 #住まいはもっと美しくなる | ![]() | |
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![]() | ![]() | 2025.6.8 ヴァーチャルな建築 ホームページ | ![]() |
![]() | 横須賀市:コモハウス/オリジナルの独特な玄関庇 |
========== コロナ前、コロナ後。 もう私たちは「コロナ前」には戻れない。ネットをサーフィンしていると、そんなネット識者の声が声高に聞こえてきます。さて、その心は? 昨今のかまびすしい世間では盛んに「コロナ後」を定義しようという試みがなされて「コロナ後」を新たにやって来るニュー・モーニングとしてそれへの備えを呼びかける論調が増えてきました。 幸せの定義を考えてみると、手を携えることがどんなに大事なことかが実感されます。 建築の世界も御多分に洩れず、ヴァーチャル全盛の昨今ですが、それは家づくりの現場でも言えること。それがまた悲しいことに、等身大のキットで出来上がる家づくりですから「あっ」と驚いてしまいます。 家づくりはキットカット。笑 家づくりに限らないのですが、夫婦の関係も然り。丁寧に語り合うことで互いの理解が深まるように、家づくりこそは丁寧に語り合いたいものです。 わたしたちの建築は「旧築提案」を標榜して住まいをご提案してきましたが、その心は「旧(ふる)きを訪ね、あたらしきを知る」。 人は、古い息吹を感じることで心が満たされます。子供の名前におじいさんの名前の1文字を入れてみるのもわたしたちは過去に繋がりたいという欲求を抱えているからとも言えなくはない。 過去につながることで心の平安を得られるのなら、建築は、これほど素晴らしい営みはない。 #自然素材の家 #注文住宅 #横須賀市 #葉山町 #逗子市 #三浦市 #横浜市#有機的建築 #東濃桧 #漆喰 #住まいはもっと美しくなる | ![]() |
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![]() | ![]() | 2025.6.2 日本の住まいは変わるのか? ホームページ | ![]() |
![]() | 横須賀市:長沢「二階のホール」から |
戦争に負けて八十年。長い年月です。今や、若い人には日本が戦争に負けた、という事実すら知らない人がいるのかもしれない。いや、少なくとも、なぜ日本があの無謀な戦争に引き込まれたのか正確に知る人は少ないかもしれません。 「建築の作法、不作法」は建築会社の日々の記録ですからここで先の大戦に口を挟むのはそれこそ無作法というもの。今でも世界のあちこちで戦争が続いているのは人間様はあまり利口ではない証拠かしら。 住まいづくりが文化であるなら、わたしたちはどのような文化を育んできたのでしょうか? 「美しい日本の私」と謳ったのは川端康成さんでした。これも先の戦争とおなじ、もうご存知ない方がほとんどでしょうが、「雪国」や「伊豆の踊子」で有名な作家です。日本で初めてノーベル文学賞を受賞した作家がストックホルムでの授賞式のスピーチで語った「美しい日本の私」。 個々に、私が美しくあるのは個人の節制と不断の努力で可能ですが、日本の街並みを美しく仕上げるのは建築会社のすぐれた審美眼以外にないでしょう。 私たちはたいへんな重責を担っている。その自覚。その責任。その使命。 美しい街並みを作るのはわたしたちの努め。 さて、その美しいと感じる心に訴えかけるもの、それはまず素材です。美味しい料理がまず素材にあり、その素材を調理するシェフの腕に委ねられている。ですからまず素材の正しい使用による建築を心がけることが一等大切です。 素材が本物であること。そこからスタートすればまず大きく踏み外すことはありません。正しい素材を扱う建築会社は正しいものを積み上げて住まいを作ります。その結果が美しい住まいなのです。 さて、では本物の素材とは何でしょうか? ここからが本番ですが、ここまで読まれて「そうだ、本物だっ!」と感じ入られた方はもうすでに本物を探し始めているかもしれません。そう。「ほんもの」はご自分で探しあてるものでもあるのです。 #自然素材の家 #注文住宅 #横須賀市 #葉山町 #逗子市 #三浦市 #横浜市#有機的建築 #東濃桧 #漆喰 #住まいはもっと美しくなる | ![]() |
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![]() | ![]() | 2025.5.29 懐かしの我が家 ホームページ | ![]() |
![]() | 横須賀市:長沢「S」様邸 |
★★★ 寺山修司の絶筆に「懐かしの我が家」があります。 だれもが懐かしの我が家を心のうちに持っているのだとしたら、そのそれぞれの光景に写し出される心象風景はたとえば障子に映る父のあるく姿であったり、襖越しの母の息づかいであったり、夏の昼下がりのうだるような暑さのなかで畳のカビ臭いにおいであったりと、家に包まれた少年時代の私のまるで蚕の中のような暖かい感傷がうかびあがってきます。 家とはもしかしたら、この蚕のようなぬくもりなのかもしれません。そうしたぬくもりを建築はどうやって実現すればよいのでしょうか? 「旧築宣言」 わたしたちはこの言葉を軸に据えて、新築の可能性を限定することで実現できることがあるのではないかと考えます。こころの温もりを建築で表現する?はたしてそんなことが出来るのでしょうか。できるかもしれない、としか今は言いようがありません。 町を歩いていますと、古いけれどもなんともいえず、ああいい家だなあと、おもわず立ち止まってしげしげと眺める家があります。そうして何日かたって傍をとうりますともうその家は跡形もない。取り壊されて寒々とした空地になっています。いずれここにも、あの味気ない新築がたつのでしょうか。こうして町の風景は毀れてゆく。取り返しのつかない破壊を目にします。 なぜ?と思わずにはいられません。 #自然素材の家 #注文住宅 #横須賀市 #葉山町 #逗子市 #三浦市 #横浜市#有機的建築 #東濃桧 #漆喰 #住まいはもっと美しくなる | ![]() |
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![]() | ![]() | 2025.5.25 建築のすすめ(学問のすゝめ、風に) ホームページ | ![]() |
![]() | 横須賀市:桜が丘 |
家を見る、建築をみる、それはまるで福沢諭吉の「学問のすゝめ」のように人は生まれながらにして平等であり、学問を通じて己を研鑽し、社会における自己の存在意義を高めることに似て、建築を知ることで心が豊かになるかもしれないし、世界をよりよく知る手立てになるかもしれないという希望でもあります。 普段から様々な家を見ていると「住まい」の良し悪し、足りないもの、過剰なもの、愛情深い家、冷たい家、寂しい家、暖かい家の必要条件が朧げにもわかってくるものなのです。 家は、建てたいと思ったその日にさて、どんな家を、と考えて思いつくものではないのですが、欲しいと思うと後先を忘れてしまうのも人間の悲しいサガです。 先日、Xで「ナチュラルハウス」についてちょっと触れたら一気に「ナチュラルハウス・ブック」のことが思い出されて久しぶりにページを繰ってみましたら、1990年代のことがあれこれ思いなされて懐かしかったですね。 出版されたのが1996年。バブルが弾け、いよいよ不況の長期化が顕になった頃、山一證券が倒産し、社長が涙の記者会見を開いたのが1997年でした。 コモハウスの方向性を系統立てて明らかにしたいと勉強に余念がなかった頃のことです。住まいを美しく彩るのは何が大事なことなのかと考え続け、それは素材を正しく調理することだ、しかし正しく調理するとは どいうことだろうかと分からないことだらけ。その時に出会った一冊の本、それが「ナチュラルハウス・ブック」だったのです。 まだオーガニックという言葉もなく、「自然素材の家」などという謳い文句もなかった頃、 私たちが目指した方向はまさにナチュラルハウスだったのです。 土、鉄、漆喰、材木、石、陶器。 わたしたちは小さな家づくりに臨むしがない建築会社に過ぎないけれど 、わたしたちが目指す建築は摩周湖のように深く、透きとおった永遠を顧みることができる木造の家。 きっとどこよりも美しく、どこよりも深い感動をおぼえる、そんな家づくりの遥かな道が銀色に輝いているに違いない。 それまで材木問屋から仕入れていた構造材を、山から直接仕入れることはできないだろうかと考え東濃檜と巡り合ったのですが、バブル後の不況の時代に山の産地もまた販路を問屋を通さずに広げたいという思惑と合致したのでしょう。 サッシも建具も断熱材も問屋を通さないことでより自由な選択が可能になったのも時代なのでしょうか。それまでのガッチリと組み込まれた流通の中では見えない世界があまりに多かったのです。 東濃檜だけではなく、断熱材をニュージーランドに求め、木製サッシの情報を遠くアルバニアやイタリア、アメリカにまで広げることができたのは インターネットのおかげでした。Windows95やiMacの爆発的な普及が後押ししてくれたのです。 ナチュラルハウスからの長い道のり。それらの素材を調理する職人たちとの出会い。組み込まれた流通は素材だけではなく、職人もまたそうした流通に組み込まれ、自由な出会いが阻まれていたのかもしれません。そしてそれは、家を建てたいと望むたくさんの人たちにも新しい世界を提供することになったのです。 では、わたしたちは、ナチュラルハウスの門口に立てたのであろうかと今は静かに自問して、そっと唇を噛み締めているのです。 #自然素材の家 #注文住宅 #横須賀市 #葉山町 #逗子市 #三浦市 #横浜市#有機的建築 #東濃桧 #漆喰 #住まいはもっと美しくなる | ![]() |
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![]() | ![]() | 2025.5.19 「百年住宅、二百年住宅、三百年住宅」 ホームページ | ![]() |
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横須賀市:壁の漆喰は校倉で仕上げています |
★★★ 最近よく、エコハウス、エコ住宅と言った言葉を耳にします。百年住宅や二百年住宅と言った言葉も同じ延長線上にあるのでしょう?ん?それは別? ではエコ住宅とは何を指すのでしょうか?イメージはよくわかりますが、はてエコハウス?(コモハウスならわかりますが。) エコロジーな住宅とはなにか?ナチュラルハウスという考え方が90年代の中頃、ちょっとした衝撃で迎えられました。それに近いのかと言うとさにあらず。ナチュラルハウスはオーガニック建材を使った土の家やゲルのような原始的な家の要素を現代の住まいに持ち込むと言う考え方でした。いえ、それほど単純ではありませんね。「エコロジー(生態系的環境調和)、健康、精神という三つの要求をいかにうまくバランスをとっていくか。」「ナチュラルハウスを創造するには多くの文化が持つ知恵と実知識を学ぶ事が必要です。ナチュラルハウスはけっして新しくはありません。まったく逆です。」 ナチュラルハウスの考え方は多くの点で私たちの家づくりに影響を与えてくれました。では、昨今叫ばれるエコハウスとは何を追求した結果なのでしょうか?つまり、エコハウスとは、「環境に配慮したエコな家づくり」と言うことになるそうで、その環境に配慮したエコな家とは、なに? そもそもこれまでの家づくりは環境に配慮してこなかったのでしょうか?そう。配慮してこなかったのです。環境に配慮、という考え方が存在しなかったのです。もちろん環境を破壊するという積極的な意図もなかったことはいうまでもありません。では、意図的に環境に配慮するとどのような住宅になるのか? 基礎は?土台は?柱は?筋交いは?構造用合板は?サッシは?お風呂は?台所は?屋根は?仕上げ材は?配管は?こうしたものがすべて自然に還元できるということを持ってエコ住宅というのであれば、システムキッチンはダメ。ユニットバスはダメ。ビニールクロスはダメ。石油系の塗料はダメ。アルミサッシは大丈夫だけど樹脂サッシはダメ。水道配管も樹脂はダメ?でも。それでエコハウスなのかしら?そもそもエコハウスはエコロジーなハウスなの、まさかエコノミーなハウスなのでは? 百年住宅や二百年住宅のかけ声も、昔の文化住宅の21世紀版で、あの手この手で気を引いて、構造材にお金をかけて、百年経ってもびくともしない住宅が百年住宅なのでしょうか?ではコンクリート住宅は百年住宅なのかしら?二百年住宅は高品質の骨組みなどを使い、耐久性や耐震性に優れた頑丈な造りにします。しかし、費用がかかるのと、20年ごとに点検、リフォームが必要となります。そこで、あらたに助成制度を設け、二百年住宅の建築に補助金を支給すること、固定資産税の軽減を考えています。 そう、どこかのだれかさんが国を焚き付けて新たなビジネスモデルをひねり出したというわけです。だれとは言いませんが。 しかし、びくともしないかどうかわかりませんが、現在の建売り住宅でもひょっとすると百年くらいは持つのではないか?おそらく五十年は大丈夫でしょう。集成材が百年持つのかどうか?ここがわからないのですが。しかし、それでも、適切なメンテナンスを施せば百年くらい持つような気はします。百年住宅や二百年住宅が成り立つには社会にそれを許容する下地が必要です。百年住宅は住みにくい。寒い。汚い。ガタピシだ。それでも、古い家に住む精霊が私たちを見守っていてくれる、という暖かいまなざし。それなくして百年住宅はありえないでしょう。百年住宅とは精神の寛容さであり、心の豊かさであり、美しくありたいと願う私たちの不断の努力に他なりません。百年住宅はお金を出して買うものではありません。百年住宅はお金をかけても獲得できるものではありません。百年住宅や二百年住宅はけっして個人では実現できるものではなく、夫婦や家族や、まわりの人びととのつながりの中で実現するものなのだという自覚。 ああ、百年住宅は(二百年住宅は)むずかしい?そう。百年住宅はかんたんそうでむずかしい。 #自然素材の家 #注文住宅 #横須賀市 #葉山町 #逗子市 #三浦市 #横浜市#有機的建築 #東濃桧 #漆喰 #住まいはもっと美しくなる | ![]() |
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![]() | ![]() | 2025.5.14 「グーテンベルグとiPad」 ホームページ | ![]() |
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★★★★★ いよいよ明日、iPadが発売されるそうです。ずっとかわらずにマックを使いつづけてきた身には、昨今のアップルの隆盛はいやはや慶賀に耐えません。 そう、むかしは居たたまれなかったですからね。(笑い)マックを使っているだけで白眼視されたものでした。(ちょっと大袈裟?)いえいえ大袈裟なものですか。パソコン売り場で欲しいと思った周辺機器がマックでは使えないとわかって当惑した日々。「マック非対応」という残酷な烙印。「え?マック?」と聞き返すパソコンショップの店員の無慈悲な対応。ルターもガリレオもグーテンベルグもきっと最初は居たたまれなかったのかもしれません。 しかしこのiPad. パピルス以来の書籍文化に壊滅的な打撃を与えるのか、どうか? ほしい。iPadが。 書籍文化を守るために?いえいえ、もうすでに書籍文化は崩壊している。読みたい本は書店にはありません。ちらちら眺めるだけの本ならiPadで充分です。その意味でiPadは時代の要請と云えなくもありません。 本屋さん、という言葉は、やがては「 i 本 」?と呼ばれて街の隅に細々と生き続けるのかもしれません。 しかしiPad。本筋は、意外とマウスの駆逐にあるのかもしれませんね。 #自然素材の家 #注文住宅 #横須賀市 #葉山町 #逗子市 #三浦市 #横浜市#有機的建築 #東濃桧 #漆喰 #住まいはもっと美しくなる | ![]() | |
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![]() | ![]() | 2025.5.10 「荷が勝ちすぎると」 ホームページ | ![]() |
![]() | 三浦市:古い農機具を応用して |
<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<< 人生は重き荷を背負いて、一歩一歩、確実に。しかし此れが思わぬ伏兵に出逢って遠回り、まわり道。急がば回れとなにをオタオタ走りまわるのか? もう何年前になるでしょう?大田区の北馬込で建築中でした。通りかかったある方からメールが入って、家を建てたいと思っているのですが、是非一度お話をお伺いしたいというご連絡。聞けば、いつも北馬込の駅までの途中で弊社の建築現場を通りかかり、 気になっていつも見ているのですがとても素敵なお宅なのでこんな建築会社に頼みたいなあと思っていました。と。 その後大田区に土地を見つけて、「是非この土地を見ていただけないか」とのご連絡。結局はその土地は建売業者にさらわれてしまったのですが、それから1年ほどして、品川区に中古住宅を見つけてご購入、土地から買って新築したかったけれど、残念です。せめてリフォームだけでもお願いします。と、奥様のA様からご丁寧なご依頼。色々なご要望を丁寧に紙にしたためて何度も何度もファックスをいただきました。熱意が行間からも伺える、そんなやり取りが昨日のように思い出されます。 お引越しされて更に二、三年後でしたか、そのA様のお知り合いという女性からメールがあって、A様にご紹介頂いたのですが、新築のご相談に乗っていただけないか?とのご連絡。 ついにA様のご自宅を手がけることは叶いませんでした。人の出会いは因果なもの。今は亡くなられたA様と、残されたまだ小さなお子様たち、ご主人に 謹んで哀悼の意を。ありきたりの言葉で申しわけありません。今は安らかにおやすみください。A様のその時々のお心遣い、思いやりを私たちは忘れないでしょう。 ちょっとした心遣いに繊細な思いやりを示してくれた彼女との思い出は、私には鮮烈な記憶となっていつまでも心に残ることでしょう。 #自然素材の家 #注文住宅 #横須賀市 #葉山町 #三浦市 #逗子市 #横浜市#東京都大田区 #有機的建築 | ![]() |
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![]() | ![]() | 2025.5.1 「家づくりの原点」 ホームページ | ![]() |
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家造りはお客様があって建築があります。だからこそお客様と語り合うことが一等大事になことだと思います。 ではなにが最上なのでしょうか? 機能、デザイン、頑健、この三つを兼ね備えることはもちろん簡単なことではありません。建築はパルテノン神殿の昔から、法隆寺の昔から連綿とつづく技術の伝承と経験の蓄積があります。 だからこそ、わたしたちは話し合わなければなりません。 言葉が悪いのですが、わたしたち以上に皆様は知識が浅いかもしれない。知らないことを補い合う、なによりもあなたの存在を、あなたの希望を、あなたの喜びをわたしたちは知りたいのです。 わたしたちの建築への思いもお伝えしなければなりません。 わたしたちは、あえて言えば流行り廃りに惑わされたくないのです。なぜなら明日もこの家はありつづけます。明日もあさってもこの家は在りつづけ、唯一無二でありつづけたいとわたしは思うのです。これはあなたたちだけの家づくりです。 美しい住まいづくりのために。 #自然素材の家 #注文住宅 #横須賀市 #三浦市 #逗子市 #葉山町 #横浜市#有機的建築 #東濃桧 #漆喰 #住まいはもっと美しくなる | ![]() | |
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![]() | コモハウス ComoHouse 〒238-0103 神奈川県三浦市南下浦町金田1626 | ![]() |