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【アーカイブス|ブログ 自然素材の家づくり 】
コモハウス 「建築の作法、不作法」



ブログ「コモハウス 建築の作法、不作法」も二十年の時を数え、その投稿数は600件を超えました。
振り返って顕彰するほどではありませんが(笑)、その思い出のブログからもう一度。読みかえすと、わたしたちの建築は二十年前からちっとも変わらない。
違ってきたのはまわりの風景で、もしかするとそこに建築のかわらぬ力強さがあるのかもしれません。

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2025.4.25 「散る日本」 ホームページ

 


我と来て 遊べや親のない雀

大工になり手がない。大工のイメージをあなたはお持ちですか?
つらつら考えるに、実はわたしには確たるイメージがないのです。曖昧である以上に大工のイメージが消えてなくなってしまった。

元々一般の人にとって大工は遠い存在で、まるで身近なパン屋さんや八百屋さんのようなイメージを持ちづらい職業なのは間違いありません。

大工と聞いて、ベートーベンの「第九」を思い浮かべる人も今は少ないでしょうが、それは単純にベートーベンが遠くなったからに過ぎず、けっして大工が身近になったからではありません。(なんのこっちゃ?)

しかし大工が身近にいなくても大工の仕事はなくならない。それどころか益々その仕事は貴重でかけがえのないものとなってきます。そんな時代に反比例して建築のニーズは高まり益々大工は珍重され、手間賃は上がりそれにつれて建築費も高騰の一途を辿るのでしょうか?

さて、職人の復権は日本人のモノづくりへの情熱を取り戻す以外にありません。モノづくりへの情熱を掻き立たせるには子どもたちの遊び心に火をつける以外にあり得ません。お母さんたちに大事なことは、子どもをほっておきなさい。ありったけの愛情を注げばあとは野となれ山となれ。

それでいい。愛情さへ注げば子どもは道を踏み外さない。信じること。大きな愛情でつつんであげれば子どもはなにごとかを始めるでしょう。
子どものやる気を育てるのは親の愛情です。他には何も要らない。

今のご時世大人のチマチマした干渉が子どもをいびつに歪めてしまっている。私たち大人がもっともっと大らかに、山のようにドッシリと構えることが求められている。

それ以外に日本の復活はない。

#自然素材の家 #注文住宅 #横須賀市 #三浦市 #逗子市 #葉山町 #横浜市#有機的建築 #東濃桧 #漆喰 #住まいはもっと美しくなる

2025.4.21 「オリンピックという容れ物」 ホームページ

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三浦市:自然素材の家 
  〜外壁は飛騨杉にリボスで塗装+西洋漆喰校倉塗り


先の東京オリンピックが開催される前、五輪スタジアムにまつわるいざこざを覚えていらっしゃいますか。いちどは決まったザハ・ハディド案が潰されて、唯一無二の建築家の作品がついにこの日本で実現しなかったあのときの経緯を思い出しながら。2015.9.15のブログからもういちど。早いものであれから十年になります。

★★★

ギリシャの丘に松明がともり、高く掲げた青年のその周りに集う若者たち。

真っ青な地中海の空。澄み渡る空気。ジリジリと照りつける太陽。競技者の誇示と威厳。張り詰めた緊張感。そこには競技場のトラックが、観客席が、大勢の群衆が固唾を飲んで見守る一瞬があるだけ。

金融危機もなければ財政破綻もない。理想もなければ失望もない。競うべき事実はタイムではなく観客の声援なのです。

オリンピックはもうやめたほうが良いですね。クーベルタン男爵の理想はとうに潰えて、あるのは国際オリンピック委員会という既得権益にしがみつき、骨の髄までしゃぶろうという醜い輩の剥き出しの、しかし巧妙に隠された欲望のみ。

だからこのオリンピックの周辺では醜い欲得のデスレースが札束をひるがえして、鍋の底を叩いたような阿鼻叫喚がけたたましい狂想曲をかき鳴らすだけ。 

開催都市の獲得レースから始まって、そこに飛び交うのは本質的には札束のみ。さすがにオリンピックのエンブレムで巨大なお金が動く、ということはないでしょうが、しかり、 そして競技場の箱物の選別からその工事の受注合戦、差配するお国の妖しげな連中の委員会という名の欲望の電車。国立競技場だけで二千億円からのお金が動き、周辺の整備やその他の会場の整備費、放送権、広告費、そしてその先にあるのは談合の二字。四年に一度のお祭りは、大人のお金の利権のお祭り。競技者までもそれはすでに職業と化したお祭りなのです。

しかしその中にあって、ザハ氏の設計は一種掃き溜めのツルと言ってもいいような気がします。 あの「生牡蠣をどろっと垂らしたような」競技場の設計案はあれだけを見ても何もわからないわけで、その全体像が何かしらあるはず。設計者の意図も、この時代にあのような建築物を建てる意味がきっとザハ氏の中には明確にあるはずです。それを是非とも聞いてみたい。

彼女がこの時代の先鋭的な類稀なる建築家であることは疑いの余地はありません。いたずらに工事費のことのみがクローズアップされて 面白おかしく揶揄されて、政治家までが口を挟むに至っては何をか言わんや。さてもさても。

餅は餅屋。餅屋の頭の中を銅工屋がつついてもなにも出てこない。ガウディの「聖家族教会」の最初の設計図を見せられた時も、銅工屋は口をあんぐりと開けたに違いない。まるで生牡蠣のように。

2025.4.14 「ああ無情」 ホームページ

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自然素材の家造りも今日のアーカイブスはちょっと建築をはなれて、将棋、です。
2013年4月2日のブログから。そう、12年前になります。

★★★

いつでしたか、このブログで将棋の米長永世棋聖がコンピューターソフトに平手で負けたと書いた覚えがありますが、その時は米長さんも現役を退いてご隠居の身分。むべなるかなと鷹揚に構えていたのですが、今日の新聞では、現役プロの将棋差しと団体戦で3勝1敗1引き分け。コンピューターが3勝というありさまで、まさに「銀が泣いチョル」。
これは由々しい事態だと思うのです。「2001年宇宙の旅」がもうすぐそこまでやって来た。ハルはまず、将棋の世界から浸蝕してきた、というわけです。

将棋はきわめて人間的で、個々人の性格がいやと云うほど表現される人間ドラマです。名人戦はもう喧嘩。羽生名人を悪く言う気はないのですが、いつからこのような草食系の男子が細い指先で優雅にコマを操る世界に堕落してしまったのでしょうか。(羽生さん、ごめんなさい)

そう。将棋は駒。吹けばとぶよな将棋の駒。駒はコマではないのです。昔の将棋差しは対局場で思い詰めて畳の上に仰向けになるわ、屁はこくわ、長考に沈んだ棋士が知らず知らずに盤上に覆い被さるように盤面を凝視すると、すかさず相手方が大音声で「盤が見えんぞっ!」と怒鳴り散らす。怒った相手がお茶をひっくり返す。これはねえ、きわめて人間的な泥臭い世界だったわけです。

着流しのざんバラ髪の将棋差しとて、冷たく銀色に光るコンピューターの前では、しかし、それも所詮は人の子。670台のコンピューターにつながれた名人HARUの前では座布団をひっくり返しても茶碗を投げつけてもへっちゃらさ。あっ!

将棋も相撲も柔道も、わたしたちの精神世界が壊れていく。そんな危機感が、じわりとこれからの日本を蝕んでいくのかもしれない。ああ、。、、、。(ちょっと、ペシミスティックでした)

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2025.4.10 「自然素材の家 コモハウス」 ホームページ

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横須賀市長沢:S様邸の二階ホール


今日は過去のブログからご紹介。
2017年8月30日ですからなんと八年前になります。

★★★

コモハウスのホームページを開設してもうすでに十五年近い歳月が過ぎました。一度大幅に刷新したのですがあとはズルズルと。

光陰矢の如し。

当初は熱心だったサイトの更新もいつしかだらだらと、更新も稀、新味は全くない、これじゃいかん。

わかってはいるのですが、時間がない、暇がない、熱意がないの無い無い尽くし。どこかでよっしゃとならなければホームページも宝の持ち腐れ。しかし、この世界も変わりましたね。昨今ではサイトの閲覧も圧倒的にモバイルから。デスクトップからの訪問者のほうが少ない。これではサイトの作りもモバイル向けに情報を収集選択して訪問者のかたがたの見たいを絞り込んで提供することを考えるべきでしょうが、いかんせん、暇がない、時間がない、アイデアがない、スキルがない。ないないづくしで何にもない。

こんな建築会社でも、建築屋にも三分の魂。良い家を建てるスキルでは誰にも負けない。負けるかもしれないけれど、でも負けない。(と、そう思いたい)そう言えるだけの努力と美しい家づくりへの尽きることのない探究心は忘れないつもりです。

時代の周回遅れも明日はわからない。昨日のビリは明日のトップ。

美しい家の奥行きは深い。とてもその深さにまで降りていくことはできないけれど、そんな深みにとどきたい。

今日は事務所で支払いやら請求書の整理やらで一日事務仕事。相変わらず厳しい暑さですが、それでもそろそろ夏も終わりかな。人気の少なくなった三浦海岸で所在投げに歩く若者を見ていると、(ニースの海岸でもないのに)おっ、これはなんと、太陽がいっぱい。(笑)

しかし時代は変わる。アラン・ドロン扮するトム・リプリーはたった一人を殺めて完全犯罪を企み、成功したかに見えた彼の悪事が最後に来てどんでん返し。

アルベール・カミュの「異邦人」ではムルソーが一人のアラビア人を撃ち殺して裁判でその理由を問われ、「太陽のせい」。異邦人の結末は不条理というものの存在を見せつけて我々を圧倒しましたが、今やドイツでは介護施設の職員が八十人近い入所者のお年寄りを薬殺して戦後最悪の殺人事件と騒がれています。犯人曰く、「仕事が退屈だったから」。

退屈しのぎに八十人を殺す。もはや人間の条理も不条理もなく、心に葛藤がなくなってしまった。時代が変わったのか?状況が変わったのか?それとも人間が変わったのか?ああ。

今年の夏は「はじめチョロチョロ中ぱっぱ、赤子泣いても蓋取るな」。そんな例えが当たっているのか外れているのか、秋はもうすぐそこまで。

2025.4.6 「旭に匂う山桜花」 ホームページ

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三浦市:洗面所から勝手口へ


ほんとうに久しぶりの快晴、晴れた日には永遠が見えると謳ったのは誰でした?^_^

永遠は見えなくともせめて日本の先行きくらいは覗いてみたいもの。それというのも我々の仕事にしても職人不足が叫ばれてなんとはなし重苦しい気分がジワーッと背中にのしかかってきます。

職人は足りないのでしょうか?

足りているとはとても言えませんが、要は大工がいない、コレに尽きるのでしょう。長い間大工の偉大さを軽視してきた付けが回ってきた、と言って良いのでしょう。それは複合的な要因が重なり合って今日の事態をまねいたわけですから一朝一夕には解決しない。

先ず学校制度の改革が急務です。それは価値観の見直しです。汗水流して働くことの意味を子どもたちが考えて欲しい。いえ、考えるのは後からでいい、体を使ってなにごとかを成す、その喜び、その達成感を体で感じること、そこから始まります。小さなことをコツコツコツコツ、そう、小さなことから始めましょう。

わたしたちの周りの生活を見直すことも急務です。食事の時のいただきます。ご馳走様。食べ歩きはしない、買い食いはしない。こうした昔は当たり前に家庭で躾けられた行いが蔑ろにされてしまう。

勤勉とは何か、勇気とは何か?

「勤勉にとって固すぎる壁はなく、勇気にとって近寄り難い深淵はない」ノーバリス

こども心に父に教えられたこの言葉が今でも頭のどこかで鳴り響いています。たったひとつの教えを子どもに残す。それさへも私は成し得ただろうかと今更ながらに忸怩たるものがあります。
だからこそ、教育なのでしょう。
そのためには、まず親が人間の幸福と不幸について考う直す必要があります。

男は男らしく、女は女らしく。男子校や女子校の復活はもっと真剣に考えた方良い。昔は工業高校や商業高校が普通高校がありました。みんなが大学に行く必要はありません。その大学からして今ではただの遊学大学ではありませんか。大学の荒廃と教育の衰退。

かつて女子教育の重要性を訴えられた津田梅子女子。子育ての最前線で頑張るお母さんを正しく導く教えを女子教育が担っていた日本の教育制度。
女子を女子たらしめる教育。男子を男子たらしめる教育。
この教育の根幹が無惨に打ち捨てられたのはいったいどこに問題があったのでしょうか。

男女平等という悪き理想。男女不平等が許されるわけはありません。しかし、男女不平等の反対が男女平等ではありません。そこを履き違えた教育が今の教育の荒廃を生んでいる、と私には思えてなりません。

大工不足の原因は奥の深いものがありますが、まず大工は徹底した個人主義という点にその難しさがあります。大工職を極めるにはまるで求道精神の如く道を極める、そこに極意があっては誰も成り手は集まらない。ではもっと緩い精神で良いのかと問い詰められればこれもまた言葉がありません。
その中間でというほど世の中は甘くない。

しかし、そこに横たわる日本のものづくりの精神は、なるほど今風前の灯と言って言えなくもない。
いや、これはこれは今日のテーマが重すぎました。しかし、もっともっと考えなくては日本の明日は、日本の建築の明日は、住まいづくりの明日はない。

大工不足を嘆いていたら話はあらぬ方向へ。 

次回、パートⅡへつづく。

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2025.4.5 「星に祈りを」 ホームページ

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三浦市:リビングの真ん中にこしらえた階段


階段手摺りは厄介です。

厄介に考えるから厄介なのですが、単純に考えると、、、そう、身も蓋もない。よくある手摺壁なんか考えたくもない。(笑)

さて、では、コモハウスはどう考えるか?ふふふ。

流木を使った階段の壁手すり、これはこれは、しかしこれをどう魅力的に拵えるかというのが大命題。馬鹿と鋏は使いよう、と言いますが、しかし、この言い回しは今のご時世禁句かな?
もう十年以上昔になりますが、あの時、確か津久井浜の海岸で拾ってきた流木。

二本。真水でよく洗い、よく乾かし。さあ。

ジャン!

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形が難しいのをああでもないこうでもない。でも、こうしかならない。これがイチバン。
ボードの部分は漆喰仕上げです。塗装は古色塗料、久米蔵です。
奇をてらっただけ、と捉えられると忸怩たるものがありますが、しかしこのアイディアを一回だけで眠らせるのはチトもったいない。

そこで今回十年ぶりに「シェーン、カンバック!」です。

さてさて、昔取った杵柄と参りますでしょうか?
乞うご期待!

2025.4.3 「静謐な家」 ホームページ

 

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横須賀市:米杉の美しい外壁


「自然素材の家づくり 横須賀市、三浦市、葉山町、逗子市」

住まいをどう拵えるのかは永遠のテーマですが、不要なものは何なのかと自問して見ると少しもつれた糸がほぐれてくる気がします。

不要なもの。
人生は足し算なのか、引き算なのか?
住まいもまた、足し算で考えるのか引き算で考えるのか?

住宅会社とそれにまつわる住宅産業はさまざまなツールを用意して「これがあると便利ですよ、あれは使い勝手が最高です」と売り込みに躍起。
便利なもの。
それはとても厄介なもの。便利と厄介は紙一重。

わたしたちは便利なものに背を向けているわけではありません。
ただ、便利なものに積極的でないだけなのです。

わたしたちは住まいに何を求めているのでしょうか?
新しくなれば良い?
それだけ?
それだけという思い切りも大胆なもの。

しかし、実は、それだけという決断が住まいを逆に引き締めるのかもしれません。
生活のなかで不要な物はたくさんあります。もしかするとわたしたちは不要な物の洪水の中で暮らしているのかもしれません。

便利なものに囲まれていると安心していたら、いつのまにか不便な生活を強いられている、かもしれない。

不要な物。

不要な物とは実におそろしい定義と言えば言えなくもありません。
たとえば片づけ上手。三ヶ月使わないものは一年使わない。一年使わないものは三年使わない。 三年使わない物は一生使わない。
そう決断して 、三ヶ月でどんどん物を捨てるように心がけたことがありました。それはそんなに間違ってはいなかったけれど、家族には不評でした。(苦笑)

住まいについて考えてみると、そこは実に深い水を満々とたたえて、その深さに思わずたじろいでしまいます。
住まいについて考える人は幸かな。

わたしたちはそんな幸なる人の澪つくし。幸せが平和と同義語なら、オイラは平和を売る建築会社なのさ!

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2025.3.31 「都市に建つ三階建て」 ホームページ

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東京品川区「都会に建つ三階建て」


「自然素材の家を三階建てに落し込む 東京品川に建つ白いミナレット」

かっては「旧築提案」をキャッチフレーズに展開したコモハウスですが、旧いものと新しいものの融合がわたしたちの家づくりの大きなテーマでした。

とはいえ一歩間違えて、この提案が独りよがりになりがちで、充分に意図が伝わらない懸念もあるにはあったりして。笑�

さて三階建てはむずかしい、まずは建築基準法の枠内で最大限のスペースが求められるわけですから、無駄をなくすということと、無駄を作り出すということを一枚の図面の中に落とし込むことの困難さ、またそれがわたしたちの挑戦でもあるわけですが。

わたしたちの家づくりはこの二十年間少しも変わらない。恥ずかしいくらいに変わらない。しかし、時代は少しづつ変わってきました。狭小敷地に建つ三階建ても個室で無理に部屋数を増やすのではなく、おおらかな結びつきという視点で生活を捉えるとまたちがった視点が生まれるものです。

共有スペースをどのように魅力的にこしらえるか?

住まいはもっともっと美しくなると信じて。

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2025.3.25 「昨日・今日・明日」 ホームページ大草原の小さな家

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「大草原の小さな家」草原はないけれど、、、


身の丈を知る。
わかるようでわからないのが己のこと。人様の欠点にはすぐに目が行くけれども、自分の欠点には目が泳いでしまう。素知らぬふりでやり過ごしたい。できることなら目を瞑り、上書きして塗りつぶし、虚勢を張ってしらを切りたい。(笑)

よくあることで、正したいと思いながらもズルズルと、、、。これが、建築会社にも言えることで、建築会社もまた人格を持っているんですね。自分の会社の欠点を自覚することは、これがまた大変難しいけれども、実は薄々気がついているからまた辛いものがあります。

昨今のゼロ・エネルギー・ハウスもこれにどう取り組むかという課題は会社の明日を決定づけてしまいます。建築会社はどこもこの命題と睨めっこしなくてはなりません。

ご時世なんです。時勢のせいばかりにはできない建築会社の責任。

ゼロ・エネルギー・ハウスは二つの取り組みからなります。まずはエネルギー消費を少なくするために建物に体力をつけること。頑健な体に頑健な精神が宿るわけです。冬は住まいから熱を奪い、夏は住まいに熱が溢れかえるのは貧弱な壁とお粗末なサッシからくるわけです。壁が貧弱なのは壁の中の断熱材の性能が低いから。断熱材の厚さが足りないから。サッシがお粗末なのはそれがアルミでできており、熱伝導率が異常に高く、おまけにガラスから熱が逃げ、夏は逆に熱が呼び込まれてしまう。

もう一つは自らエネルギーを創り出していくこと。

コモハウスで家づくりを始めた何時頃からでしたか、サッシはこれは絶対に木製サッシだなと、そしてガラスはペアガラスだと思いました。アルミサッシなんて犯罪だ、と思ったのです。その当時は(今でも)アルミサッシが当たり前で、もちろんガラスはシングルでした。冬場に家のなから逃げて行く熱の実に48%は窓からなのです。

木製サッシを研究し、ローエン・ウィンドウズ社、ノード社、マーヴィン、アンダーセン、ペラ、アメリカのメーカーにメールをしてカタログを送ってもらい、その頃は日本で展開しているサッシメーカも限られており、アメリカから直接輸入しようと考えていたわけです。(そういえば、あの頃並行輸入なんて言葉がちょっとしたブームでした)イタリアのサッシメーカーにもEメールをするとすぐにカタログが送られてきました。池袋のジェトロの事務所で色々と調べているとアルメリアだったか、直接取引しませんかというサッシメーカーがありコンタクトを取ったのを覚えています。納期は1ヶ月ほどでさして難しい話ではなく、価格も驚くほど安かったですね。が、結局選んだのはアメリカのノード社のアルミクラッド木製サッシでした。外部は木製の枠にアルミで被覆しているのです。日本のアルミサッシよりも安いくらいでしたが製品はしっかりしていました。アルゴンガス入りのペアガラス。確か、インドネシアから運ばれてきたのはあちらに工場があるからでした。木製サッシも完全オートメーション化していて製作が難しいわけでもなく、ただ日本人にはどうしても木製サッシと聞くと雨に弱い、劣化が怖い、火が心配と「心配心配症候群」が頭をもたげ、とても選択肢に選ばれないという情けない時代が長く永く続きました。その頃もPVCサッシがあったのですが、なんだか木製サッシのイミテーションのようでどうにも納得できなかったのはわたしの持ち前の偏屈のせい?です。

建物を頑健にする第一は先ず窓なのです。第二は、断熱材です。これも今では高性能断熱材が華やかに横並びで競い合っていますから選択肢は豊富ですが、あの頃は羊毛断熱材くらいしかなかったのです。そして最後に換気がありますが、換気の話はまた次回に。(換気の問題も奥が深いのです。)早いものであれからすでに二十何年。

さて、そんな時代も過ぎ去って、世界の風景は一変し、世は挙げて「ゼロ・エネルギー・ハウス」の時代。私の場合は意識して省エネを目指したわけではなく、美しい住まいの条件として優れた断熱材、美しく高性能な木製サッシ、その先に快適な住まい作りがあると信じていたのです。その信念の屋台骨をぐらつかせたのは皮肉なことに建築基準法の防火基準の厚い壁でした。準防火地域では選択肢はなく、ただアルミ・サッシの灰色の世界が広がるだけ。防火認定の取れている木製サッシはわずかにケースメントくらいでは話にならなかったのです。

思えば世界中で、サッシに防火の認定を与え、それを強要するのはこの国だけかもしれませんね。しかし、それは必ずしも間違っているわけではないのです。階段に手すりをつけろというのは大きなお世話だと思いますが、サッシに関してはこの国のながい経験が活きている、のかもしれない。木製サッシがこの防火の基準を凌駕するのはいつの日となるのでしょうか?

使うエネルギーをゼロにするには建物の省エネだけではもちろんできません。建物が自らエネルギーを作り出していく。その方法は残念ながら今のところ太陽光以外に選択肢がありません。屋根にあのパネルを乗せて電気を作る。屋根に太陽光パネルを乗っけるのを厭わなければコモハウスの家は「ゼロ・エネルギー・ハウス」となります
 

2025.3.23 「台所のお披露目です」 ホームページ心に秘めた想い

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鎌倉市 材木座:S様邸


今回の台所はとってもハード且つタイトな製作でした。二階で漆喰を自ら施工するお客さま、一階ではプロの左官屋さんが漆喰塗り。電気屋さん、建具屋さん、水道屋さん、板金屋さん、ガス屋さん、そのうえ鍛冶屋さんまでくわわってと入れ替わり立ち替わり、そのあいだを縫うようにしてキッチンの製作を進めたのではこれは正直参った。

元請けとしては何はなくとも他の職人の仕事を優先させてあげなければならず、かといって手造りのキッチンは木を切り刻んで引き出しからすべて、微妙で繊細な仕事なのです。

しかし、しかし、音を上げるよりもまえに一生懸命脇目も振らず、愚痴も言わず、丁寧に丁寧に、すこしづつすこしづつ作業を進める施主様ご一家の熱意がすべてを吹き飛ばしてくれたのかもしれません。

同じ空間を共有して、二階で作業するもの、外で作業するもの、一階の水回りで作業するもの、そうした全員の息づかいを聞きながら、私もまた施主様となにかひとつのものを共有できたようで得難い体験となってしまいました。

言葉はなくとも「魂のキャッチボール」が二階から台所へ、職人から施主様へ、施主様から台所の私へ。

携わってくれた皆様へ感謝の言葉を。

一緒に作業していた設計士がぽつりと、「いやあ、コモさんのなんて云うか、三井組は全員ほんとうにいい職人さんばっかりで、流れが素晴らしいですね」とおっしゃってくれました。

ありがとうございました。

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2025.3.20 「わたしたちの家づくり」 ホームページスペイン風のマルケシーナ

takespanish

横須賀市 H様邸ラップサイディング


「自然素材の家づくり、横須賀市で、葉山町で、三浦市で、横浜市で」

長く曲がりくねった道。気がつけばもう後には引けないわたしのポジション。

色々と考えることばかり。

ルーティンワークが大嫌いで、いつもなにかしら違ったことをやりたい。家づくりも長い経験から割り出された方程式があって、その方程式に則って歩むぶんには間違いも少ないのでしょうが、新しいことに挑戦するのは多少の勇気とエイヤっの決断。その結果を引き受けるだけのぶ厚い経験の裏打ち。それはなにも建築だけとは限らない。建築も含めた人生のすべてがこの家に表現されてくる、という覚悟。

先日も左官のSさんと洗い出しの仕上げについてわたしの経験を話していたら、

「もう、なんでも自分でやらないでくださいよ」 

と、冗談半分で呆れられてしまいました。 

仕上げの段階に入るといろいろなことをやるわたしを見て、とある職人が、

「社長、社長はもともとなに屋さんですか?」 

そうだよね。その質問は鋭いけれど、残念ながら答えている暇がない。少しでも良い家になるようにと、寝る間も惜しんで考える。考える。考える。

考えることをやめたら家づくりはそこまで。

家づくりには最初から一本の道がある。この家にこの一本。その道が見えるようになるには、その答えを追い求める他に道がない。だから考える。 考える。考える。
最初からすでにそこに在る、あの一本の道。

杉板に塗装するとなるとオイルフィニッシュ仕上げか蜜蝋のワックス仕上げ、または柿渋で仕上げるのが無難な線?
今回はじつは杉板にリボスの石松を塗って5分ほどで拭き取っています。杉板の独特の赤みは消えてしまいましたが、この色合い、この古びたような濃淡がわたしは気に入っています。


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2025.3.18 「夏の家、冬の家」           ホームページ築八十年の再生

oldoldstory

三浦市:T様邸 古民家再生「築八十年の再生」


「古民家再生という力技、究極の自然素材の家」

春すぎて 夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ 天の香具山

「もうすぐ夏」

例年の梅雨明けは七月のいつ頃でしたか?七夕の頃は梅雨明けかしら?
しかし、雨は降っても日本のあの独特の蒸し暑いジメジメした、不快の極みのような梅雨はもうなくなりましたね。

いつごろからこんなに爽やかな?梅雨がやってくるようになったのでしょうか。つらつら思うに、田中角栄さんの日本列島改造論がその大きな節目であったのではなかろうか。もちろん角さんがブルトーザーのように日本列島を隅々まで耕して地形を作り替えたわけではありません。
ではありませんが、日本が大きく変わる転換点のその象徴が角さんだったのかもしれない。 
それまではあちこちにあった沼や沢や切岸や、昼なを暗い暗渠のような地形が姿を消して、光に姿を晒し、蛭やウジや藪蚊が私たちを悩ますことが無くなってきた。こうした未開の環境が確実に日本のあの圧倒的な不快の季節、梅雨の正体だったのかもしれない。

あの不快さも今や懐かしい過去の思い出。 
家づくりも隔世の感があります。

寂しいのは、住まいの質が構造に追いつかない。住まいの質、とは何だろう?
家づくりは自分探しの旅。そう、ふしぎ発見、というわけです。

建築費も高くなりましたがこの三十年間上がらなかったのが諸悪の根源?建築費も上がらなければ給料も上がらない。 
変わらないのは家づくりにかける情熱。住まいは深い想像力の彼方、考えて考えて、乾坤一擲、結局は人間力。己を鍛え、思考を鍛錬し、叩いて叩いて住まいの核を抉り出す。

そんな難しさもお客様には分からない。いや、分かってくれるかもしれない。きっとわかってくれる筈。

パズルのように組立てていくその先に、住まいの骨格が顕になる。
もうすぐそこに美しい住まいはある。

住まいはもっと美しくなる。


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