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【アーカイブス|ブログ 自然素材の家づくり 】
コモハウス 「建築の作法、不作法」



ブログ「コモハウス 建築の作法、不作法」も二十年の時を数え、その投稿数は600件を超えました。
振り返って顕彰するほどではありませんが(笑)、その思い出のブログからもう一度。読みかえすと、わたしたちの建築は二十年前からちっとも変わらない。
違ってきたのはまわりの風景で、もしかするとそこに建築のかわらぬ力強さがあるのかもしれません。

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2025.11.15 ヒノキと僕とコモハウス  ホームページ

 


今日のアーカイブスブログは2019年9月20日のブログからご紹介します。6年前で恐縮ですがお付き合いください。自然素材の家づくりです。

 

建築会社はどこでも頑健な建物を建てたいと思うものです。日本に生まれ育って、あたりの山々を眺めて過ごす日々はおそらくどこの生まれでも、見渡せばそこに山がある。

子供の頃、小学校の教室の窓から見える遠くに連なる山の姿になぜかホッとしたものでした。私が子供の頃は大きな建物もなかったので、すぐに山が飛び込んできたのです。私が育った街は海のすぐそば、山の気配などどこにもなく、見わたす平野の遠い向こうに山の稜線がくっきり見える。
校歌にも、「由布の高嶺に、白い雲」 とありました。そうです。その由布岳が遠くに見えたのです。今では大人気のあの湯布院を見下ろす由布岳です。そう言えば同級生に由布という悪ガキがいましたが今ごろどうしているんだろうな?

そんなことを思うのも、わたしたちの身直に山があり、山のあなたの空遠くには幸いが住んでいるから山へのあこがれは尽きぬものがあるのかもしれません。

日本の山には数え切れない種類の樹木があります。その数え切れない種類の木々の中からヒノキを選ぶのは、わたしたちのご先祖様がこの木の持つ特性を見事にとらえて、建築用材として大事に育ててきた歴史があるから、だから私たちはヒノキを選ぶのです。

「木曾五木」と言えば、ヒノキ、コウヤマキ、ネズコ、アスナロ、サワラ。

さて、ではこの中でヒノキ科とは無縁の樹木が一つあります。それはなんでしょうか?
ピンポン!はい正解は「コウヤマキ」でした。コウヤマキはなんと「コウヤマキ科」のこれだけで科を営む単独の樹木なんですね。
しかし、他は全てヒノキ科に属します。木曽で大事にされたのはヒノキだけと言って過言ではありません。

現代の建築では構造材はどこも集成材です。呼び名はいろいろありますが、ことに「エンジニアリングウッド」なんて聞くとカタカナに弱い御仁はもうダメです。なんだかウットリ。涙目でああ「エンジニアリングウッド」。( 薄い単板を糊で貼り合わせただけですが。)
法隆寺の時代にして既に木造建築は完成されていました。情けないことに、わたしたちは飛鳥の工人に技術で勝てない。プレーナーはカンナに勝てない。丸ノコはノコギリに勝てない。インパクトは玄翁に勝てない。

当社の家づくりは今だに愚直に構造材はヒノキです。横架材は松です。どれも「非エンジニアリングウッド」です。(笑)もちろん乾燥材ですが。しかし、わたしたちには夢がある。

東濃ヒノキは岐阜県の東濃地方、俗に裏木曽と呼ばれる一帯で産出されるヒノキです。

技術の進歩は目覚ましいものがあります。快適な住まいづくりを支えるもの。
それはアナログかデジタルか?
千年変わらぬ構造材か?カタカナ混じりの構造材か?
接着剤か?鑿か鉋か?
大工の腕か?大工に頼らぬ家づくりか?
あなたはどっち?

2025.10.19 日本の住まいは変わるのか?  ホームページ

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横須賀市、逗子市、葉山町、三浦市で自然素材の家づくりに奮闘するコモハウスです。
今日のアーカイブスは昨年’24年5月1日のブログからご紹介です。
テーマが大きすぎて果たして纏まるのやら?笑

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戦争に負けて八十年。長い年月です。今や、若い人には日本が戦争に負けた、という事実すら知らない人がいるのかもしれない。いや、少なくとも、なぜ日本があの無謀な戦争に引き込まれたのか正確に知る人は少ないかもしれません。

「建築の作法、不作法」は建築会社の日々の記録ですからここで先の大戦に口を挟むのはそれこそ無作法というもの。今でも世界のあちこちで戦争が続いているのは人間様はあまり利口ではない証拠かしら。
残念ながら戦争ははしたなくも起きてしまうもの、起こしてしまうものなのでしょう。

戦争とは比べるべくもありませんが、日本の住まいの変遷にも残念な動機があるものです。住まいづくりが文化であるなら、わたしたちはどのような文化を育んできたのでしょうか?

さて、街へ出てみましょう。住宅街で足を止めて、わたしたちが目にする住まいの連なりを眺めて美しいと感じますか、それともなにも感じないでしょうか?
こんなものだから、という諦めはご法度です。

「美しい日本の私」と謳ったのは川端康成さんでした。これも先の戦争とおなじ、もうご存知ない方がほとんどでしょうが、「雪国」や「伊豆の踊子」で有名な作家です。日本で初めてノーベル文学賞を受賞した作家がストックホルムでの授賞式のスピーチで語った「美しい日本の私」。
個々に、私が美しくあるのは個人の節制と不断の努力で可能ですが、日本の街並みを美しく仕上げるのは建築会社のすぐれた審美眼以外にないでしょう。

私たちはたいへんな重責を担っている。その自覚。その責任。その使命。

そしてそれはお客様によって鍛えられると云って過言ではありません。建築会社にすぐれた審美眼が備わっていても、お客様がそれを求めていなければ宝の持ち腐れに終わります。美しい街並みを作るのはわたしたちの努め。

さて、その美しいと感じる心に訴えかけるもの、それはまず素材です。美味しい料理がまず素材にあり、その素材を調理するシェフの腕に委ねられている。
ですからまず素材の正しい使用による建築を心がけることが一等大切です。

素材が本物であること。そこからスタートすればまず大きく踏み外すことはありません。正しい素材を扱う建築会社は正しいものを積み上げて住まいを作ります。
その結果が美しい住まいなのです。
さて、では本物の素材とは何でしょうか?

ここからが本番ですが、ここまで読まれて「そうだ、本物だっ!」と感じ入られた方はもうすでに本物を探し始めているかもしれません。そう。「ほんもの」はご自分で探しあてるものでもあるのです。

#自然素材の家 #注文住宅 #横須賀市 #葉山町 #逗子市 #三浦市 #横浜市

2025.10.5 羨ましきかな  ホームページ

 


横須賀市、逗子市、葉山町、三浦市で自然素材の家。コモハウスです。
今日のアーカイブスは2011年12月19日のブログからご紹介です。前回の「実に壮観」のつづきですが、今日は東京駅です。

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東京の玄関についてさらに一言。

東京駅のあの古色蒼然とした赤煉瓦の威容は大正3年、辰野金吾の手になる近代を代表する洋風建築ですが、この東京駅は元々三階建てで、戦災で三階部分が崩れ落ち、あの三角形のドームももとはお椀を伏せたような非常に手のこんだデザインをしていたものが戦後の復興でばたばたとあのような形で纏められてしまったといういきさつがあります。
はい、これが「あのような形」、です。

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現在はその威容が建築時のままに復元されようとしています。これは素晴らしいですね。建築に携わる方々は、おそらくは楽しくてしょうがないという日々を送られていることでしょう。うらやましい。

はいこれが復元されるオリジナル東京駅です。美しいドームですね。

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この東京駅の屋根の瓦に東北大震災で被災した宮城県石巻市の企業が関わっていて、手焼きの瓦がすべて津波で流されて、それらを必死の思いでかき集めて東京に送られたとか。もの造りの過程では、このように間一髪の板子一枚下は地獄のような光景がいつも浮かんでは消えて流れていくものです。

屋根の丸いドームのなかには十二支の干支の文様が残存する当時の図面どうりに美しくレリーフされ、甦っているそうな。これは必見ですね。完成は来年の10月だそうです。楽しみです。

この堂々とした駅舎を設計した辰野金吾は別名「辰野堅固」と揶揄されたほど堅実で、その堂々としたたたずまいは辰野金吾の面目躍如といった感があります。しかしこの三階建てがそんじょそこらの超高層ビルと伍してもなんら引けを取ることがない。
わたしたちの建築も、小さくてもぴりりとした建物を建てていきたい。ちいさな願いは、切なる願い。
心して取り組みたいと年の瀬を前にあらたな決意です。

(付録)

私の故郷大分にも辰野金吾氏の手になる「小東京駅」があります。
それは大分銀行本店で、子どものころは古色蒼然たる洋館で何やらおどろおどろしい床がギーッと軋む音がするような戦災を生き延びた見ようによってはみすぼらしい建築でしたが、外壁の赤レンガは素晴らしく美しかった。今はリノベーションされて往時の面影を今に伝えています。それはそれは東京駅にも負けない美しさです。

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2025.9.27 じつに壮観  ホームページ

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横須賀市、逗子市、葉山町、三浦市で自然素材の家づくり、コモハウスです。
今日の懐かしのアーカイブスは2011年12月16日のブログから。光陰矢の如し。
2011年といえば東日本大震災の年です。私たちの国も大きく変わりましたが、かわらないコモハウス、変わりつづけるコモハウス。そのどちらも疎かにしてはなりません。

東京の空の玄関と云えば成田?羽田?

建築でも家づくりでは玄関は大切な要素。狭小敷地ではまさにこの玄関が悩みの種で、道路に面しておくべきか、脇に通路をもうけて奥に誘導して道路側からの採光を確保するべきか?大いに悩むところではあります。問題は敷地が狭いからであって、広ければなにも悩む必要はありません。

そうしてみると、日本の空の玄関も、この国土が狭いが故におおいに悩ましい結果を招くということになったのかもしれませんね。国家の事情も家庭の事情とさして変わらない。

しかし、この敷地の奥に玄関をもうける場合は、その導入路をいかに魅力的に仕上げるかが建築会社の腕の見せ所ということになります。

そうか。成田が魅力がないのは、この導入部が貧弱だから?(失礼)そう。羽田もかっては浜松町からのモノレールと云う未来都市のような魅力的な交通機関があったからこそ、羽田までの行き帰りをまるで鉄腕アトムの世界のようなくすぐったい気持ちにさせてくれたからこそわれもわれもと羽田詣でを繰り広げたのかもしれません。(ほんと?)

そう。成田からは地下深くを一直線で結ぶ弾丸列車のような交通網が必要だった。地下一直線で30分で東京と成田を結ぶような。あっと驚くリニアモーターカーで新宿までひとっ飛び。な〜んてね。

さてさて空の玄関は別にして、地上の玄関と云えばそれはやはり東京駅。西の東京駅、東の上野駅と東西の両横綱がしのぎを削った時代がなつかしいですね。

「上野はつの夜行列車下りたときから、、、」

まさに上野は哀愁あふれるふるさと特急便。その上野がいつしか横綱の地位を下りたときからふるさとと都会の関係が大きく変わってしまったのかもしれません。

羽田発のヒコーキを下りてもそこは都会の延長線。訛もなく、ユニクロもマックもそこにある。最終便に乗れば日帰りだって夢じゃない。

田舎なんて、、、そう?

#自然素材の家 #注文住宅 #横須賀市 #葉山町 #逗子市 #三浦市 #横浜市

2025.9.19 八月の空の蒼さよ  ホームページ

 


アーカイブス・ブログ、今日は「八月の空の蒼さよ」2016年8月3日のブログからご紹介いたします。
自然素材の家を横須賀、逗子、葉山、三浦の皆様へ。自然の素材を多用して、住まいはもっと美しくなる、コモハウスです。

地震の国ニッポン。この国で地震を舐めたらあかんぜよ。しかしまた、だからと言って地震を前に怯んでいても生活は成り立ちません。昨今の関東地方の連続地震。何かの前触れを怖ながらもウン十年。いつきたって怖かない、なんて言いながらも実はそれはタダの「つよがり」。

先だっての熊本地震。熊本の友人に聞くと「やっぱり金物で雁字搦めにした建物がダメですね」と。

SE工法などは金物が強すぎて柱が途中でせん断する。仕口は金属で外れないけれど梁が木部で引きちぎられる。確かに金物で固定したところは強いけれど、その強さが仇となって代わりにより脆弱な柱の途中で折れる。梁がねじ切れる。震度5や6には耐えきれるけれど、6強やそれ以上では持ちこたえられない。
やっぱりしっかりした在来には敵わないねえ。金物工法じゃあ揺れは吸収できない。
なるほど、と思います。

さて昨今のこの暑さ。たまらない夏。が、しかし、その空の青さはウワッ!コレは、原色の蒼さ。空まで暑いけれど、しかし美しい空の蒼さよ。

長沢で建築中の I 邸 。建築の勉強をしたかったという I 様の思いがこもった東濃ヒノキで建てる「夏の家」。今日はまた、真っ青な空に映えるコモハウスの力作です。いえ、 I 様の力作です。

西側の庭から見る I 邸。いや、いや、今日は空の1日でした。 

#自然素材の家 #注文住宅 #横須賀市 #葉山町 #逗子市 #三浦市 #横浜市#有機的建築 #東濃桧 #漆喰 #住まいはもっと美しくなる

2025.8.23 方丈記  ホームページ

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今日は2005年10月5日のブログからご紹介します。早いものですでに20年前。20年も前のブログをご紹介するのも少々気がひけるのですがそこはそれ、あの鴨長明の有名な方丈記からのインスピレーションですからお許しください。(笑)
そう、方丈記。広さはわずかに方丈、つまり、一丈四方、十尺ですから一片が約3メートルの計算になります。これが私たちの住まいの基本。

「たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人のすまひは、世々経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれな り。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中 に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。」

  人の世の儚さを歌う鴨長明のこの有名な一文。「方丈記」  

 ウサギ小屋と揶揄された日本の住まいですが、方丈記は住まいの大小を語るものではなく、人生の機微、哀歓、家をとうして、その荒廃をとうして一族の衰退 を語るわけです。しかし、私たちの住まいと街造りの骨格が、これほど見事に語られているのを目の当りにしますと、私たちは家造りの骨格をどこかで大きく間違えてしまって いるのではないかと疑われてならないのです。  

 「多摩ニュータウン」といえば私が学生のころ、遺跡の発掘調査でよくアルバイトした京王線永山駅の広大な丘稜を思い出します。そこを切り開いて次々と建 てられたベッドタウンは、今、若者たちが巣立った後の老人タウンと化して学校は次々に閉鎖され、街全体が老人ホームと化してしまいそうな勢いです。日本中 のあちこちで、これに類した悲喜劇が繰り返されているのでしょうか?  若い家族が新しい街を興し、ミニ開発の名のもとに1000坪の畑が山が切り開かれて安っぽい建売り住宅が建てられていきます。これから20年間にわたっ て子育てが始まり、いずれは子供たちも巣立っていき、あとに残された無惨な建売り住宅の残滓がこの国の住まいを永遠にみすぼらしいままに留(とど)めてし まいます。    
 その衝動はなんだろうか?と思うのです。  
 小さな家は許される範囲でしょう。家の大小が問題なのではなく、住み継ぐべき家の精神がすでに失われてしまっているのです。

 「広さはわづかに方丈、高さは七尺がうちなり。所を思ひ定めざるがゆゑに、地を占めてつくらず。土居を組み、うちおほひを葺きて、継ぎ目ごとにかけがねを 掛けたり。」

   心の方丈からのがれておおきな精神を手に入れるために建築会社にできることがあります。家がさきに朽ち果てるのか、人間がさきに朽ち果てるのか?
 家がさ きだと答えた方は、その喪失を目の当たりにすることで裡なる故郷と家族の絆を失うことに気がついていないのです。家はどっかりとそこにあるべきはずだと私 は思います。百年でも、二百年でも、「懐かしいわが家」はふりかえるといつでもそこに在る。

  「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と すみかと、またかくのごとし。」

2025.8.11 スギ花粉の不都合な真実  ホームページ

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自然の素材で家づくりをかさねて25年。自然素材の家づくりのパイオニア、それはわたしたちコモハウスです。
さて今日のアーカイブス・ブログは2023年4月3日のブログからです。

狭いニッポン、そんなに急いで何処へ行く?
人間てえヤツは理屈じゃあない。 急ぎ足は習い性。急いては事を仕損じる。それでもがむしゃらに一点突破、仕損じた暁は、アッシにはカンケーねえ事で。三十六計逃げるに如かず。

春先は風が吹く。風が吹くと桶屋が儲かる。しかし、近頃では風が吹くこの季節はスギ花粉が舞い、クシャミ鼻水鼻詰まり。ご用心ご用心。(誰が儲かるかはさて置いて)

このスギ花粉症。いったい何が舞うのかと不思議に思ったことはありませんか?

吉野杉といえば杉の名産地。江戸時代からつづく杉と言えば吉野の杉。近場で言えば静岡県の天竜杉。千葉県だって山武杉、四国には伊予杉、木頭杉、九州には飫肥杉、薩摩鉄杉、日田杉、屋久島には屋久杉、縄文杉、島は山ごと杉杉杉。島の全土はスギ花粉に覆われて屍河原水子草。

昔から日本全国名産地として知られている杉の産地ではさぞお困りでしょう。杉に苦しめられ、村人はこぞって鼻水だらだら。花粉のせいで一家離散、凄惨な親殺し子殺し、果ては因果な巡り合わせを恨んで裏山の杉の木に首を括って首吊り自殺。根っこに刻んだ「怨」の一文字。

この山がなければ一家は幸せに暮らせたのに。

はて、面妖な?
地元にそんな言い伝えのひとつふたつはありそうですが、そんな話はひとつも聞こえてこない。杉の花粉はほんとうに飛ぶのか?日本全国にある杉の名産地ではどこも風土病のように蔓延して人々を困らせているのか?嗚呼、その名もスギ花粉症。杉を「スギ」とカタカナで表現するのも何か意味でもあるのだろうか?

しかし、これだけ日本中に蔓延して、その原因が杉だということまであっさり突き止めておきながら、なぜ杉の花粉のどのような成分が鼻水ダラダラの原因なのか、科学者が突き止めたという話はまったく聞かない。まるで幽霊の正体見たり枯れ尾花。笑

原因は他にあるかもしれない、とは誰も思わず、杉は寂しくそこに佇んでいる。

さて、コロナが流行り始めた去年一昨年はスギ花粉症がめっきり減って、これはマスクのお陰だと喧伝されましたね。笑
今年は一転して巷で猛威をふるうスギ花粉。鼻水ダラダラ、目は痒く、帰って来たスギ花粉症だあ!

しかし、今年も街ゆく人々はあいも変わらずマスクマスクマスク。
マスクのお陰で去年は激減したのに今年のマスクはどこが違うんだ?
濡れ衣を着せられた愛しの杉は今日も泣いているのだろうか?それとも、あまりのバカバカしさにニンゲン様をバカにして大笑いしているのだろうか?

嗚呼そは悩まほしくありけり。

#自然素材の家 #注文住宅 #横須賀市 #葉山町 #逗子市 #三浦市 #横浜市#有機的建築 #東濃桧 #漆喰 #住まいはもっと美しくなる

2025.8.2 過去から逃げてくる  ホームページ

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自然素材の家を横須賀市、三浦市、逗子市、葉山町で建てるならコモハウスです。

今日は過去ログではなく、水が滴る本日付のブログです。

暑いですね。
こんな暑い日に玄関先で父と水浴びをしてはしゃいだのはもう遠い日の思い出。
記憶もうっすらとして夏の日の太陽の彼方に陽炎のように浮かんだり沈んだり。

光陰矢の如し。

そう言えば結婚して最初の子が出来たばかりの頃、夕方になると親子三人で夕涼みに表通りの暗くなった歩道を散歩するのが楽しみでしたが、その表通りというのがじつは東京の井の頭通りでした。近くにロイヤルホストもあったりして、そこまでてくてくてくてく子どもの歩調に合わせて行って帰ってくるだけ。たまにはお店でコヒーを飲んだりしたのかしら?

先週の土曜日、小金井公園の「江戸東京たてもの園」に行こうとこの井の頭通りを車で走ったのですが、すっかり今浦島でまるっきり変わってしまったのにびっくり仰天、何てったってこんなに道が狭かったの?まだ家々の間も隙間だらけで空はもっと大きかった。
一緒に散歩した子も今ではすっかり大きくなって、変わらないのは家づくりに七転八倒するお父さん(わたし)だけ。

 わたしの上に降る雪は
 熱い額に落ちもくる 
 涙のようでありました

先日とある建築雑誌を読んでいましたら、

「建築は経験学だと考えている。建築家は誰も、自分が体験した建築から影響を受けている。」

と建築家の神谷昭雄さんがおっしゃっている一文に目が止まり、まさに言い得て妙、建築に携わるものはひそかにこうした想いを胸に抱いているのではあるまいか。

過去に手掛けた建築は背負いこむものが多すぎて押しつぶされそうなほど深く刺さっているのですが、しかし、もちろんそれは経験という分厚い肥料としてその後のあたらしい展開の支えになっているのは間違いありません。建築は日々発見なのです。意図した道筋があらぬ方へ自分たちを導いていく。自分の考えたことであるにもかかわらず、新鮮な発見に心踊らされる日々の連続。

ひとつには、建築は、携わるものにとっては大量生産品のように次から次へとこなせるものではない、という事実があります。そして、そのひとつひとつがその建築独自の成立要因を抱えており、そのひとつひとつを克服するのに膨大なエネルギーを費やしてきた、という側面があるのです。

良いものを愚直に追い求めれば追い求めるほど抱えるトラウマは限りないものになってしまいます。
それらをひとつひとつ解決し、新たな地平線を切り開いていくことの醍醐味は何にも変えられない喜びでしょう。しかし、建築はこれも仕事と割り切ればなにもそこまでしなくても、という悪魔の囁きが聞こえてくるのですが。

コモハウスの建築は設計施工です。なにも書かれていない真っ白い紙に鉛筆を立て、絵を描くように描き込み造形し、その上で今度は実物を作り込んでいく。作り込む過程で選択肢は百通り。そのどれを選ぶにしてもそこには葛藤がある。
こうしてひとつひとつの経験が建築を掘り起こし、その経験の後押しであたらしい仕事に臨むことができるのです。この一棟をながして建てればその経験は浅く、心にも残らないでしょう。
そう。わたしは建築が好きなのです。

 わたしの上に降る雪は
 真綿のようでありました

   中原中也

#自然素材の家 #注文住宅 #横須賀市 #葉山町 #逗子市 #三浦市 #横浜市#有機的建築 #東濃桧 #漆喰 #住まいはもっと美しくなる

2025.7.26 難易度をます世界  ホームページ

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今日のブログは2017年9月23日のブログからです。

イギリスの理論物理学者のホーキング博士が、人類に残された時間はあと百年と警告されたそうです。

人間って不思議なものですね。危機に立てば立つほどいきりたって自滅への道を突き進んでしまう。勇ましい中国も、鶏冠をたてる北朝鮮も 、ライオンのたてがみをなびかせて周囲を睥睨するアメリカも、その勇ましさは擊ちてし止まんぬ。

人類に残された時間があと百年なら、建築会社が負う社会的責任はとても曖昧になってしまう。それは建築物として百年持つかどうかの問題ではなく、住み続ける意志を持続させるために建築会社が積極的に果たさなければならない無言の責任を曖昧にしてしまう。
家が法律で規定された責任を果たせばそれで良いのなら、家づくりはとても虚しい。

平和平和と唱えても平和はやってこない。

幸せの家づくりを標榜して家づくりに励んできたつもりですが、それだけでは幸せは掴めない。

昔、初めてホーキング博士の本を読んだとき、我々が今目にしている太陽はすでに8分前の太陽なのだと教えられてハッとしたものでした。わたしたちは3次元の世界で4次元の宇宙を生きている。

そんなわたしたちにも残された時間はあと百年。

「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」

しかしこのご時勢、梁を上げるのはクレーン車だったりして。

2025.7.13 立ち昇る階段  ホームページ

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横須賀市、逗子市、葉山町、三浦市で自然素材の家づくり。コモハウスです。
2019年2月2日のブログ
から。

この小鹿田焼の里は、今では珍しい一子相伝の伝統を頑なに守る親から子へ、子から孫へ、変わらぬ焼き物のその造形美。変わらない、と決めることの潔さと変わりたいと願う欲望と。

しかし、人は変わるもの。

登り窯がだんだんと連なる様子は、そうかこれが登り窯かとトーシロはなんにでも感動するものです。 しかしこの窯の周りの手入れの行き届いた裏庭の様子はここの人々の生活のありようが伺えます。仕事場の手入れは何にでも言えることですが、その仕事に対する思い入れの強弱がうかがえる大事なポイントです。

登窯を見ていると、何と言ってもその造形美です。機能美です。焼き物の里を象徴する、その機能が全体を統一する。

家づくりでも、その様々な用途の中で何が住まいを決定づけるのかと日々考えるのです。小鹿田の登窯に匹敵する住まいの要素はなんだろう?何が住まいを魅力的にするのだろうと考えると、実はそれは階段ではないかと思うのです。

私たちの住まいをつらつら眺めていますと、階段があまりに無造作で、階段がただの階段で終わってしまっている。二階に上がるために機能すれば良いと思うとそれは大きな間違いなのです。上下をつなぐ、居間と二階を橋渡しする。階段で立ち止まる。トコロテンのようにただ押し出される通路としての階段ではなく、二次元を三次元に押し広げ、それは吹き抜けを通じて住まいを縦横無尽に駆け抜ける。

それは精神の解放であり、家族の関係を時には逆転させる、自由のもう一つの表現なのです。
だから、階段は私たちを解放してくれる。
階段は一歩登るごとにそこから見る風景を一変させる。私があなたになる。そのように階段をこしらえる。階段はリビングルームを差配する。玄関をつかさどる。二階への架け橋を無限に規定する。

もしも今住んでいるあなたの「住まい」が美しくないとしたら、それは階段のせいかもしれない、と疑ってみるのは一つの見識です。住まいは生き物です。そのことを如実に表しているのが、もしかしたらあなたの家の階段かもしれない。階段は怪談なのです。(笑)

コモハウスの住まいは実はこの階段を中心にして設計されています。そう言うと身もふたもないのですが、階段をどう表現するかに想像力を集中させる。ここが大事なポイントです。さて、そこから先は、私たちの人生にも似ている。だから、企業秘密。(笑)
ひとり階段を見上げる時、二階のその先のはるかな天を仰ぐ時、その住まいは美しく見えるだろうか?

ジョジョの奇妙な冒険で、承太郎とディオが対決するエジプト編。あの傑作シリーズで印象に残るのは、ディオの住む館に乗り込んだポルナレフが螺旋の大きな階段を一歩、また一歩と登っていき、その向こうにいよいよ目指すディオが待ち構えている。ポルナレフは幅一間はあろうかという豪壮な螺旋階段を、今まさに一歩踏み出す。その時、ポルナレフは、階段を一歩下がっている。

まさに衝撃的でしたね。こんなドラマティックな階段を私は他に知らない。
階段は時をさへ支配する。

階段は演出するものではなく、身をまかせるもの。ローマのコロシアムの階段状の観客席は闘技場以上に雄弁にすべてを語っています。主役はすり鉢状の階段なのです。
階段は人生の縮図。上昇も下降も、悲劇も喜劇も呑み込んで、私たちを豊かにしてくれる。
小鹿田の登り窯を前にして、階段階段と一人呟く私は十分に可笑しなのでしょう。

おかしな私たちと、冬の日差しに干される焼き物の卵たちと。

こうして天日で乾燥させてから窯に入れるのでしょうね。
窯から出てくるとこうなります。(笑)

あらためて小鹿田焼のすばらしさに浸ることができたこの1日に感謝して。
工房の店先でいくつか買い求めたのですが、ああ、もっと欲しかった、と思うのは人情ですが。

コモハウス ComoHouse 〒238-0103 神奈川県三浦市南下浦町金田1626
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