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![]() | ComoHouse 【アーカイブス|ブログ 自然素材の家づくり 】 |
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![]() | ![]() | 2025.4.3 「静謐な家」 ホームページ | ![]() |
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住まいをどう拵えるのかは永遠のテーマですが、不要なものは何なのかと自問してみると少しもつれた糸がほぐれてくる気がします。 不要なもの。 住宅会社とそれにまつわる住宅産業はさまざまなツールを用意して「これがあると便利ですよ、あれは使い勝手が最高です」と売り込みに躍起。 わたしたちは便利なものに背を向けているわけではありません。 わたしたちは住まいに何を求めているのでしょうか? しかし、実は、それだけという決断が住まいを逆に引き締めるのかもしれません。 便利なものに囲まれていると安心していたら、いつのまにか不便な生活を強いられている、かもしれない。 不要な物。 不要な物とは実におそろしい定義と言えば言えなくもありません。 住まいについて考えてみると、そこは実に深い水を満々とたたえて、その深さに思わずたじろいでしまいます。 わたしたちはそんな幸なる人の澪つくし。幸せが平和と同義語なら、オイラは平和を売る建築会社なのさ! #家を建てるなら木造住宅 #自然素材の家 #注文住宅 #横須賀市 #三浦市 #逗子市 #葉山町 #横浜市#有機的建築 #東濃桧 #漆喰#住まいはもっと美しくなる | ![]() |
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![]() | ![]() | 2025.3.31 「都市に建つ三階建て」 ホームページ | ![]() |
![]() | 「都会に建つ三階建て」 |
かっては「旧築提案」をキャッチフレーズに展開したコモハウスですが、旧いものと新しいものの融合がわたしたちの家づくりの大きなテーマでした。 とはいえ一歩間違えて、この提案が独りよがりになりがちで、充分に意図が伝わらない懸念もあるにはあったりして。笑 さて三階建てはむずかしい、まずは建築基準法の枠内で最大限のスペースが求められるわけですから、無駄をなくすということと、無駄を作り出すということを一枚の図面の中に落とし込むことの困難さ、またそれがわたしたちの挑戦でもあるわけですが。 わたしたちの家づくりはこの二十年間少しも変わらない。恥ずかしいくらいに変わらない。しかし、時代は少しづつ変わってきました。狭小敷地に建つ三階建ても個室で無理に部屋数を増やすのではなく、おおらかな結びつきという視点で生活を捉えるとまたちがった視点が生まれるものです。 共有スペースをどのように魅力的にこしらえるか? 住まいはもっともっと美しくなると信じて。 #家を建てるなら木造住宅 #自然素材の家 #注文住宅 | ![]() |
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「大草原の小さな家」草原はないけれど、、、 |
よくあることで、正したいと思いながらもズルズルと、、、。これが、建築会社にも言えることで、建築会社もまた人格を持っているんですね。自分の会社の欠点を自覚することは、これがまた大変難しいけれども、実は薄々気がついているからまた辛いものがあります。 昨今のゼロ・エネルギー・ハウスもこれにどう取り組むかという課題は会社の明日を決定づけてしまいます。建築会社はどこもこの命題と睨めっこしなくてはなりません。 ご時世なんです。時勢のせいばかりにはできない建築会社の責任。 ゼロ・エネルギー・ハウスは二つの取り組みからなります。まずはエネルギー消費を少なくするために建物に体力をつけること。頑健な体に頑健な精神が宿るわけです。冬は住まいから熱を奪い、夏は住まいに熱が溢れかえるのは貧弱な壁とお粗末なサッシからくるわけです。壁が貧弱なのは壁の中の断熱材の性能が低いから。断熱材の厚さが足りないから。サッシがお粗末なのはそれがアルミでできており、熱伝導率が異常に高く、おまけにガラスから熱が逃げ、夏は逆に熱が呼び込まれてしまう。 もう一つは自らエネルギーを創り出していくこと。 コモハウスで家づくりを始めた何時頃からでしたか、サッシはこれは絶対に木製サッシだなと、そしてガラスはペアガラスだと思いました。アルミサッシなんて犯罪だ、と思ったのです。その当時は(今でも)アルミサッシが当たり前で、もちろんガラスはシングルでした。冬場に家のなから逃げて行く熱の実に48%は窓からなのです。 木製サッシを研究し、ローエン・ウィンドウズ社、ノード社、マーヴィン、アンダーセン、ペラ、アメリカのメーカーにメールをしてカタログを送ってもらい、その頃は日本で展開しているサッシメーカも限られており、アメリカから直接輸入しようと考えていたわけです。(そういえば、あの頃並行輸入なんて言葉がちょっとしたブームでした)イタリアのサッシメーカーにもEメールをするとすぐにカタログが送られてきました。池袋のジェトロの事務所で色々と調べているとアルメリアだったか、直接取引しませんかというサッシメーカーがありコンタクトを取ったのを覚えています。納期は1ヶ月ほどでさして難しい話ではなく、価格も驚くほど安かったですね。が、結局選んだのはアメリカのノード社のアルミクラッド木製サッシでした。外部は木製の枠にアルミで被覆しているのです。日本のアルミサッシよりも安いくらいでしたが製品はしっかりしていました。アルゴンガス入りのペアガラス。確か、インドネシアから運ばれてきたのはあちらに工場があるからでした。木製サッシも完全オートメーション化していて製作が難しいわけでもなく、ただ日本人にはどうしても木製サッシと聞くと雨に弱い、劣化が怖い、火が心配と「心配心配症候群」が頭をもたげ、とても選択肢に選ばれないという情けない時代が長く永く続きました。その頃もPVCサッシがあったのですが、なんだか木製サッシのイミテーションのようでどうにも納得できなかったのはわたしの持ち前の偏屈のせい?です。 建物を頑健にする第一は先ず窓なのです。第二は、断熱材です。これも今では高性能断熱材が華やかに横並びで競い合っていますから選択肢は豊富ですが、あの頃は羊毛断熱材くらいしかなかったのです。そして最後に換気がありますが、換気の話はまた次回に。(換気の問題も奥が深いのです。)早いものであれからすでに二十何年。 さて、そんな時代も過ぎ去って、世界の風景は一変し、世は挙げて「ゼロ・エネルギー・ハウス」の時代。私の場合は意識して省エネを目指したわけではなく、美しい住まいの条件として優れた断熱材、美しく高性能な木製サッシ、その先に快適な住まい作りがあると信じていたのです。その信念の屋台骨をぐらつかせたのは皮肉なことに建築基準法の防火基準の厚い壁でした。準防火地域では選択肢はなく、ただアルミ・サッシの灰色の世界が広がるだけ。防火認定の取れている木製サッシはわずかにケースメントくらいでは話にならなかったのです。 思えば世界中で、サッシに防火の認定を与え、それを強要するのはこの国だけかもしれませんね。しかし、それは必ずしも間違っているわけではないのです。階段に手すりをつけろというのは大きなお世話だと思いますが、サッシに関してはこの国のながい経験が活きている、のかもしれない。木製サッシがこの防火の基準を凌駕するのはいつの日となるのでしょうか? 使うエネルギーをゼロにするには建物の省エネだけではもちろんできません。建物が自らエネルギーを作り出していく。その方法は残念ながら今のところ太陽光以外に選択肢がありません。屋根にあのパネルを乗せて電気を作る。屋根に太陽光パネルを乗っけるのを厭わなければコモハウスの家は「ゼロ・エネルギー・ハウス」となります | ![]() |
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鎌倉市 材木座:S様邸 |
元請けとしては何はなくとも他の職人の仕事を優先させてあげなければならず、かといって手造りのキッチンは木を切り刻んで引き出しからすべて、微妙で繊細な仕事なのです。 しかし、しかし、音を上げるよりもまえに一生懸命脇目も振らず、愚痴も言わず、丁寧に丁寧に、すこしづつすこしづつ作業を進める施主様ご一家の熱意がすべてを吹き飛ばしてくれたのかもしれません。 同じ空間を共有して、二階で作業するもの、外で作業するもの、一階の水回りで作業するもの、そうした全員の息づかいを聞きながら、私もまた施主様となにかひとつのものを共有できたようで得難い体験となってしまいました。 言葉はなくとも「魂のキャッチボール」が二階から台所へ、職人から施主様へ、施主様から台所の私へ。 携わってくれた皆様へ感謝の言葉を。 一緒に作業していた設計士がぽつりと、「いやあ、コモさんのなんて云うか、三井組は全員ほんとうにいい職人さんばっかりで、流れが素晴らしいですね」とおっしゃってくれました。 ありがとうございました。 #家を建てるなら木造住宅 #自然素材の家 #注文住宅 | ![]() |
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![]() | ![]() | 2025.3.20 「わたしたちの家づくり」 ホームページ<スペイン風のマルケシーナ | ![]() |
![]() | 横須賀市 H様邸ラップサイディング |
長く曲がりくねった道。気がつけばもう後には引けないわたしのポジション。 色々と考えることばかり。 ルーティンワークが大嫌いで、いつもなにかしら違ったことをやりたい。家づくりも長い経験から割り出された方程式があって、その方程式に則って歩むぶんには間違いも少ないのでしょうが、新しいことに挑戦するのは多少の勇気とエイヤっの決断。その結果を引き受けるだけのぶ厚い経験の裏打ち。それはなにも建築だけとは限らない。建築も含めた人生のすべてがこの家に表現されてくる、という覚悟。 先日も左官のSさんと洗い出しの仕上げについてわたしの経験を話していたら、 「もう、なんでも自分でやらないでくださいよ」 と、冗談半分で呆れられてしまいました。 仕上げの段階に入るといろいろなことをやるわたしを見て、とある職人が、 「社長、社長はもともとなに屋さんですか?」 そうだよね。その質問は鋭いけれど、残念ながら答えている暇がない。少しでも良い家になるようにと、寝る間も惜しんで考える。考える。考える。 考えることをやめたら家づくりはそこまで。 家づくりには最初から一本の道がある。この家にこの一本。その道が見えるようになるには、その答えを追い求める他に道がない。だから考える。 考える。考える。 杉板に塗装するとなるとオイルフィニッシュ仕上げか蜜蝋のワックス仕上げ、または柿渋で仕上げるのが無難な線?
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![]() | 三浦市:T様邸 古民家再生「築八十年の再生」 |
「もうすぐ夏」 例年の梅雨明けは七月のいつ頃でしたか?七夕の頃は梅雨明けかしら? いつごろからこんなに爽やかな?梅雨がやってくるようになったのでしょうか。つらつら思うに、田中角栄さんの日本列島改造論がその大きな節目であったのではなかろうか。もちろん角さんがブルトーザーのように日本列島を隅々まで耕して地形を作り替えたわけではありません。 あの不快さも今や懐かしい過去の思い出。 寂しいのは、住まいの質が構造に追いつかない。住まいの質、とは何だろう? 建築費も高くなりましたがこの三十年間上がらなかったのが諸悪の根源?建築費も上がらなければ給料も上がらない。 そんな難しさもお客様には分からない。いや、分かってくれるかもしれない。きっとわかってくれる筈。 パズルのように組立てていくその先に、住まいの骨格が顕になる。 住まいはもっと美しくなる。
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![]() | 横須賀市 O邸 |
住まいにはどうしても流行があり、流行り廃りのなかでその時代の流れをつかむことが大事なのでしょうが、ではその流れに乗り遅れるとどうなるのか? 時代の流れを掴むには発売されている最新の建築雑誌や「住む」や「チルちんびと」のような住宅雑誌に目を光らせると自ずと時代の潮流がわかるものです。今でもこういった雑誌が健在なのかどうか不勉強で知りませんが、しかし、ほんとうは、大事なことは流行り廃りではなく、古典なのです。古典に帰えることが何より大事だと思うのです。 世間の流行り廃りから距離を置くと、大事なことが見えてくるような気がするのですが、しかし、目を見開いても見えないことがあります。 歴史の時間に身を置くと人はなぜか落ち着くものです。心の拠り所が時間の中に隠されている。どんな分厚い雑誌にもかなわない膨大な時間の流れに身をまかせると、住まいは魅力的になるのではなかろうか? 「旧築提案」を看板に掲げて、古いものを呼び込んで、時間軸を二重に拵えて、新築だけでは心落ち着く空間を得られないのではないかと試行錯誤、塗装や古材や、微妙に荒々しい手触りを新築住宅に持ち込むことで、しかし、その手加減はまことに難しい。 ある時、私が苦労してこしらえた「古びた風」のドアを指差して、こんな汚らしいドアを作られて、とお叱りを受けたことがありました。施主様ではなく、そのお母様だったのですが、意図するものがまったく伝わらなかったのか、それとも本当に汚らしかったのか?(苦笑) その昔、バブル華やかなりし頃、「住宅は25年だっ!」と言って顰蹙を買ったとある大手の住宅メーカーの社長がいましたね。25年持てば御の字じゃないか!それで建て替えればいいんだよ。 愛がないからなのです。住まいに対する愛がないということは、自分に対する愛がないのと同義であることに気がついた方が良い。 あなたはご自分の住まいの中で、心落ち着く空間を見出していますか?
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![]() | ![]() | 2025.3.14 「家づくりの本懐」 ホームページ<ワザリングハイツ | ![]() |
![]() | 三浦市 S 邸ロフトから二階を望む |
家づくりの本懐は、偏に「お客様の大いなる満足」であり、さらにはご近所の皆様がこの家が建つことによって、出現することによって何とは無し(この家があることが)嬉しくなる、喜びを感じる、そうした家づくりを実現することこそが建築会社の本懐といえば言えるのかもしれません。 建築会社にも成熟があります。ただ華やかなだけではなく、そこにこの家があるだけで許される、そのような建築を目指してきたのですが、この度は施主様のご理解を得て、また一つ峠を越えることができたのかな、と、ほんの少しですが私たちにも安堵の得心が得られたような、(であれば良いのですが、、、)どうでしょうか? さて、弊社のオリジナルドアー。作れそうでなかなか作れない。まずはこのドアの特性をご理解いただけなければ作るに作れない。家づくりは普通にキレイで破綻していなければそれ以上(もしくはそれ以下?)を求めるお客様は稀です。 それ以上のドアづくりは、まず皆様がそれ以上のドアに思いをはせていただくことが前提になります。それ以上のドア作りとはそれは想像力で補う世界なのかもしれません。ですから、それ以上のドアはお客様の感性によって左右され、私たちの作るドアを楽しんで、それが欲しかったと言ってくださるような、そんな心を通い合わせる努力が必要になります。しかし、それにもかかわらず、何人かの方々が私たちの「あのコモハウスのドア」がいいとおっしゃってリクエストしてくださいます。(慌てて付け加えますと、それ以上、という言葉はそれ以下を見下しているわけではなく、それ以外というニュアンスに近いかもしれません) それは私たちにとってはとても得難い注文なのですが、時間も精神も極限まで張りつめた労働だけに終わるとなんだか全身の力が抜けてしまう。 しかもこれが、作り始める瞬間まで迷いがある、という厄介な代物。新築住宅で、普通にキレイなだけでいい、そう思っていらっしゃるかもしれないお客様に私たちの手作りのドアを提示して本当に喜んでくれるでしょうか?(こんな汚らしいドア、と非難されやしないだろうか?)確信はどこにもない。しかし、まったくもって確信がないわけではなく、だからこそじゃあ作ろうか、と重い腰を上げるのですが、それでも私にはどこかで最初から確信がある、ような気もするのです。 ドア作りにも、実は物語があります。ドアはすでに開かれている。ドアはドア。心のドア。感性の、喜びの、想像力としてのドアがある。そう思っていただけると、建物はまたべつの相貌をおびて立ち上がってくるに違いないのですが。
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![]() | ![]() | 2025.3.15 「それからの、黒くぬれ」 ホームページ<なんでも作ってやろう | ![]() |
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黒とはいえ実はチョコレートブラウンに塗った三本の建具、しかし、それは、あくまで下地としてのチョコレートブラウン。仕上げのつもりでは毛頭ありません。が、その後、紆余曲折がありましてあららら。 実は古びた建具を再現するために仕上げは泥絵の具で塗装する予定で塗料を注文したら、お目当の塗料は在庫切れ。(これは後からわかったのですが、)しかも、入荷は一ヶ月後。しかもしかも念入りに塗料の名前が似ている「ドレッシングブルー」をうっかり間違えて「ドレッシングネイビーブルー」を注文してしまったのです。こちらの商品は在庫があったのが運の尽き。届いた缶を開けてみて初めて分かったのですが、慌てて電話をすると「ドレッシングブルー」は在庫がありません、と無情の世界。 嗚呼、神も仏もあるもんか。 さて困った。困った。困った。しかし困っても始まらない。このネイビーブルーがまた欲しかったドレッシングブルーとは似ても似つかない濃紺のブルー。それが丸々一缶手元にはある。深〜い深〜い海の底をおもわせるダークなブルー。これをどうしようか? そこでこのダークなブルーを手元にあった明るめのグリーン、「ワイルド・ベイベリー」を混ぜて少しまろやかにしたつもりが、、、うーん、変わらない? ここからが悪戦苦闘の連続で、塗装のひび割れを作ったり、アンティークオイルを刷り込んだり、で、それでも納得がいかないとばかりにサンダーで均してからBRIWAXというアンティークワックスをかける。 何が違うのか違わないのか? ツルンツルンとは言ってもほんのりマットなその手触り。手をかけた分だけドアはまた違った魅力があり、さて、しかし、これが結局はめぐりめぐって黒くはないけれど「黒くぬれ!」。 Paint It Black ! 黒くぬれ! #家を建てるなら木造住宅 #自然素材の家 #注文住宅 | ![]() |
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家の作りようは、夏を旨とすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり。 「日本に住んで日本人のための住まいづくり」という、「家の作りようは夏をもって旨とすべし」というあの兼好法師の考察は、しかし、今でも生きているのでしょうか?果たしてそれはそうなのか?その根本をもう一度考えてみると。 それというのもまず、この日本列島が以前のように死ぬほどの蒸し暑い、ねっとりするようなあの不快な梅雨時のネトネトジトジトした季節が変節してかわってきたのではないか?ということ。列島が改造されて排水設備や川が整備され、山は切り開かれ、藪や、昔はどこにでもあった沼地や蛭や沢がなくなって、不快の温床が少なくなってきたという事実もあるのかもしれない。今の若い人たちは、その昔の(と言ってもわずかに数十年前に過ぎないのですが)日本列島の圧倒的な不快の季節をほとんど知らないのかもしれません。 つまり、日本の家はもう夏をもって旨とするだけの理由も無くなってしまった。とはいえ、真夏の堪え難い酷暑はふた昔前では考えられない熱帯の国を彷彿させる次元に突入しているとも言えますが、しかしそれは、兼好法師の「暑き比わろき住居は堪え難きことなり」と嘆いたあの不快とはちょっと違うような気がするのです。 さてそこで、日本の住まいを一年中ステテコのような身軽さで暮らそうにもそれでは冬を乗り切ることはできません。健康で快適な家づくりはまず冬の寒さを克服し、そのうえで夏の酷暑を乗り切る家でなくてはなりません。 そうこうするうちに、2020年までのネット・ゼロ・エネルギーハウスの実現が叫ばれ始めて改めて快適な住まいという目指す道のりがその遥かな先がくっきりと見えてきたことがきっかけとしては大きいのかもしれませんが、それは快適であることを不快の排除に据えるというコペルニクス的転回であるわけです。しかも、エネルギーを自足するために家庭で使うエネルギーの総量を抑制することでそれを可能にするというお役所的な発想ですが、それでもこの国のみすぼらしい家づくりの根本が変わるのなら歓迎すべきことでしょう。 何と言っても今日本の家が5800万戸として、30%の家が無断熱、ほぼ37%の家が無断熱に近いと言ってもいい貧相な断熱材をまとった住宅なのですから。快適な住まいの実現が、エネルギーという切り口を得て、日本の住宅は大きく変わろうとしています。 | ![]() |
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![]() | 横須賀市 S 邸のオリジナル・ドア造り |
★★★ 建具を自分たちで作ろうと思い始めた動機はなんでしたか? いろいろなドアを見てきて、建材メーカーの建具、家具製作会社の手作りの建具、建具やさんの建具。どれも別に悪いわけじゃない。 「住まいはもっと美しくなる。横須賀市、三浦市、葉山町、逗子市。自然素材の家づくりのパイオニア、それがわたしたちコモハウスです」 もう随分前になりますが、パインのドアを好んで使った時代がありました。無垢のパインドアで北欧の輸入品でした。どっしりとして、厚さが確か36mmありました。框ドアですが重かったですね。ところがここの輸入業者が何を思ったか、同じものを自分のところで作ろうとなって、で、製作は中国。パイン材は多分ロシア産かな?ところがこれが似ても似つかぬ、いえ、似てはいるのですが厚さは33mmにジワリと痩せて、ま、これは日本では標準的な厚みですが、建具の風格は似ても似つかない。 可笑しなもので、僅かに3ミリの厚みがその風格を減じてしまう。建具も建物も、見た目が堂々としたものは中身も堂々としているものです。 しかも、コモハウスのオリジナルドアは最後は塗装ですから33mmでは薄くて反りが出てしまうのです。 建材メーカの建具はどれも貼りもので無垢とはとても呼べない。古びた建具を骨董屋さんで買ってきたとしてもとても本数は揃わない。なら自分で作ったらどうだろう? さて、そこからの長い道程。アンティークに塗装して、これがなかなかなもので(自画自賛ですが、、、)そのうち何人かのお客様がこのドアが欲しいと言ってくださって、褒められるとブタも木に登る。しかし、これが想像以上に手強いのです。 今回は五本におまけが一本。作り始めて一週間。暑い。流しそうめんになって流れて ああ、無情! そういえばいつぞやもこんなことがあったような、、、? | ![]() |
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![]() | 横須賀市 T 邸 米杉の縦張りが美しい |
★★★ 「自然素材の家づくり、旧築提案、住まいはもっと美しくなる。わたしたちの目指すもの」 お客様のご要望はたくさんあります。初めての家造りであればなをのこと、ひとつひとつ確認して、それらを集約して、そしてなにを残し、なにを捨て去るか。ご要望をすべて実現すれば良い家になるとは限らない。この家にはなにが大切か? そしてさらに、それをお互いの立場から眺めやり、実生活に即してアレンジを施していく。その過程でこの建物をどう理解してもらうか? ご夫婦おふたりで住まわれる住宅です。思い切った選択と集中。下駄箱はこれでいい、というその選択。 玄関に向かうとき、帰宅したその瞬間、大きすぎる石英岩の黒とざっくりと埋めた白い目地とのコントラスト。 わたしたちはなにを選び、なにを捨て、なにを残したのか。これで良かった、と思っていただけたのならありがたいのですが。 beautiful obsession
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![]() | コモハウス ComoHouse 〒238-0103 神奈川県三浦市南下浦町金田1626 | ![]() |